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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
■ 問題提起
 「末巻」の三番目は、親鸞の師・源空(法然)聖人の真像に記された銘文である。それは、法然の主著『選択本願念仏集』より抜き出された三つの文で、原文末尾の「文」という区切りの一字が目印となっている。その讃銘文の意を、親鸞が一文ずつ解説していく。しかし一体なぜ、この三つの文なのだろうか。今号ではまず、一つ目の銘文に焦点を当てる。

 その「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」という文は、法然が主著『選択本願念仏集』の題号に次いで、冒頭に掲げた文である。また、親鸞が恩恵にあずかって『選択集』を書き写した後、その書写本に、師・法然より直接書き記していただいたお言葉である。親鸞は、主著『顕浄土教行証文類』(『教行信証』)において、「雑行を棄てて本願に帰す」という「回心」を軸にして、師・法然との出遇いを回想する。その中で、法然の製作した『選択集』の書写と真影の図画とを許可されたことを、浄土に往生することが決定したしるしである、と深い感銘をもって受けとめている(東本願寺出版『真宗聖典』、三九九〜四〇〇頁趣意)。親鸞はここに、師・法然の明らかにした浄土教の法灯を受け継ぎ伝える、「師資相承」のしるしを見ているように思われる。

 その、法然から親鸞へと受け継がれていった、「南無阿弥陀仏という念仏を根本として浄土に往生する」という関心事は、現代において、どのように通じていくものなのだろうか。現代は、科学的合理的知見が中心となり、目に見えるかたちで知ることができないものは、容易に信じることなどできない時代である。実証できないものを無理に「ある」と言えば、胡散臭くなってしまう。それゆえ、「浄土」を正面切って問題にすることは困難で、タブーであるかのようにすら思われる。

 そもそも「浄土」は、一体どういう点において、私たちにとって必然的な問題・課題となるのか。「南無阿弥陀仏を根本として浄土に往生する」ということを明確に打ち出す、この銘文のこころと向き合い、自分自身が問われる学びをしていきたい。 (親鸞仏教センター嘱託研究員 菊池 弘宣)
聖典の試訳(現代語化)
『尊号真像銘文』末巻④ 「源空聖人の真像の銘文(『選択集』に関する銘文)」1/3

原文
 比叡山延暦寺宝幢院黒谷源空聖人の真像
『選択本願念仏集』に云わく、「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」文
 また曰わく、「夫速欲離生死 二種勝法中 且閣聖道門 選入浄土門。欲入浄土門 正雑二行中 且抛諸雑行 選応帰正行。欲修於正行 正助二業中 猶傍於助業 選応専正定。正定之業者 即是称仏名。称名必得生 依仏本願故」文
 (また曰わく、「当知生死之家 以疑為所止 涅槃之城 以信為能入」文『選択本願念仏集』というは、聖人の御製作なり。「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」というは、安養浄土の往生の正因は、念仏を本とす、ともうす御ことなりとしるべし。正因というは、浄土にうまれて仏にかならずなるたねともうすなり。

現代語化
 比叡山延暦寺宝幢院黒谷源空聖人の真像
『選択本願念仏集』に云わく、「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本(南無阿弥陀仏 往生の業は念仏を本とす)」文
 また曰わく、「夫速欲離生死 二種勝法中 且閣聖道門 選入浄土門。欲入浄土門 正雑二行中 且抛諸雑行 選応帰正行。欲修於正行 正助二業中 猶傍於助業 選応専正定。正定之業者 即是称仏名。称名必得生 依仏本願故(それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、なお助業を傍にして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するなり。称名は必ず生まるることを得。仏の本願によるがゆえに)」文
 また曰わく、「当知生死之家 以疑為所止 涅槃之城 以信為能入(まさに知るべし、生死の家には疑をもって所止となし、涅槃の城には信をもって能入となす)」文
 『選択本願念仏集』というのは、源空聖人のご著作である。「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」というのは、「安養浄土に往生する正しい因は、称名念仏を根本とするのである」、という源空聖人が大事にされた言葉であると知っておくべきである。正しい因とは、浄土に生まれて「仏に必ず成る種」ということである。

《語 註》

比叡山延暦寺宝幢院黒谷:比叡山延暦寺の西塔(宝幢院)にある黒谷のこと。比叡山における隠遁の地であり、源空(法然)が仏道修行に励み、専修念仏に帰した場所である。

源空:法然(一一三三〜一二一二)のこと。源空とは法名で、法然はその房号である。親鸞の師匠。『選択本願念仏集』を著し、南無阿弥陀仏という称名念仏の一行こそ、如来が選び取った行であり、衆生が浄土に往生することが正しく定まる行為であると明らかにした。

選択本願念仏集:源空の著作。阿弥陀如来が選択した、一切衆生を平等に往生させようという本願を実現する行としての称名念仏について、経論釈の要文を集め、その意を明らかにした書。

南無阿弥陀仏:阿弥陀仏の本願に帰命すること。「南無」とは帰依、敬礼の意を表す。

■現代語化をめぐって

 源空(法然)が、『選択本願念仏集』の冒頭に掲げた「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」という文について、親鸞は、「安養浄土の往生の正因は、念仏を本とす」という意のお言葉であると解説している。「浄土に往生するには、念仏が根本である。何よりも大事である」と、「しるべし」という言葉を据えて、ここを一番はじめに強調している。ただ親鸞は、師・法然の「念仏為本」を尊重しつつ、法然が取り上げていない「正因」という言葉を付け加えて、独自の思索・解釈も展開している。親鸞は終始一貫して、「因」にこだわっているように見える。そこに、この三つの銘文全体を読み解く鍵があると思われる。

 さらに親鸞は、自身が八十三歳の時に書き写した『尊号真像銘文』「略本」には、「正因というは、浄土へうまるるたねともうすなり」と記していたものを、八十六歳の時の「広本」では、「正因というは、浄土にうまれて仏にかならずなるたねともうすなり」と書き改めている。

 つまり親鸞は、「浄土へ往生する」というところにとどまらず、「浄土に往生することを通して、仏に必ず成る」という、仏道を成就するところにまで突き抜けた読み方を、明確に打ち出したと言えるだろう。ここで親鸞は、「正因」を「仏にかならずなるたね」と表現している。この「たね」とは、たとえば柿の種は必ず柿になり、それ以外のものにはならない、ミカンになったりはしないという意味で、「必然的な原因」を指し示す言葉であると思われる。

 そして親鸞は、三つ目の銘文の「以信為能入」について、「信心は菩提のたねなり。無上涅槃をさとるたねなり」(『真宗聖典』、五二八頁)という解釈を施している。すなわち、「信心」こそが、浄土に往生して「仏に必ず成る種」、「必然的な原因」であると、親鸞は段階的に解き明かしていく。「正因」は、本願の名号・南無阿弥陀仏という縁をいただく、「真実信心」であると明らかにしていくのである。

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