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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 『歎異抄』、『唯信鈔文意』に続き、当センターでは、『尊号真像銘文』の現代語化に取り組んでいる(概要については、本研究会のバックナンバー[001]参照)。
 その冒頭を飾るのは、『無量寿経』にある「至心信楽の願文」である。『無量寿経』では法蔵菩薩が、覚(さと)りを得るに先だって四十八の願い(本願)を説く。その十八番目に登場するのがこの願である。ただしこの願は、親鸞にとって、いくつもある願のうちのひとつにすぎなかったわけではない。師である法然がこの願を「王本願」と呼んで大切にしたように、親鸞にとってもこの願は、「信心」を語る願として、最も大切な願であった。
 念仏とは何か? なぜ念仏するのか? このように問うならば、親鸞ならば例えば、「そこに、『私が今、ここにある』ということのすべてが尽くされているのだ」、と応えるのではないだろうか。この問いは、「私はなぜ生きているのだろう」という問いによく似ている。この問い以前に、事実として私たちは生きており、生かされている。無限に広がるいのちの結びつきからの、「生きよ」という呼びかけが、私たち自身のなかにはたらいている。「充実した人生を送るためにはどうしたらよいだろうか」、「どうしたら人を幸せにできるだろうか」というのが、私たちの日常的な発想である。しかし、今回の『銘文』が伝えてくるのは、このように自分であれこれと考える以前に、「わが願いを信じて、念仏せよ」という如来の誓いが確かにあったのだ、という感動である。『尊号真像銘文』最初の銘文は、親鸞の抱いた、この根源的な感動と共にある。 (研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 1 >> PDF版はこちら
現代語
 「大無量寿経言」というのは、『大無量寿経』という経が、阿弥陀如来の深い願い――私たちのありようをその生活の根っこから揺り動かすような、本当に大切な願いである第十八の願――を四十八に開いて教えてくださっている、ということです。『大無量寿経』は、ここに述べられている「信心」の願をこそ、「言わん」としているのです。
 「設我得仏」というのは、「私が『仏』になったときには、このようであってほしい」という、あらゆる存在へと向けられた、如来からの願いの言葉です。
 「十方衆生」というのは、どんな場所で生まれ、どんな環境で暮らしていようと関係なく、この世に生まれてきたすべてのものが、ということです。生きとし生けるあらゆるものがみんな一緒に、と呼びかけられているのです。
 「至心信楽」の「至心」とは、嘘や偽り、疑いなどがまったくない、純粋な“真実”のことです。真実である、と言えるのは、如来がその「名」において確かに、心から誓ってくださっていることの真実性だけであって、この事実を指して「至心」と言うのです。これに対して、私たち自身の「心」はどうでしょう。この世に生まれてから死ぬまで、いろいろなかたちで湧きおこってくる心に苦しみ、そこから逃れられる人など誰もいません。私たちの心は、「ああしたい」という欲望、「こうなりたい」という願望に追い立てられることに始まって、イライラしたり、我慢できずにカーッと腹が立ったり、あるいは人のことが気になって一喜一憂、うらやんだり妬(ねた)んだりする気持ちで一杯です。嘘偽りのない真実の心だとか混(ま)じりけのない純粋な想いだとか、そんなものはそもそも、私たち自身の内にはないのです。自分からは何が真実か、決して決めることはできません。どんなことでも私たちは、偏った、濁りある眼でしか判断できないのですから。
原 文
 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』に言(のたま)わく、「設我得仏(せつがとくぶつ) 十方衆生(じっぽうしゅじょう) 至心信楽(ししんしんぎょう) 欲生我国(よくしょうがこく) 乃至十念(ないしじゅうねん) 若不生者(にゃくふしょうじゃ) 不取正覚(ふしゅしょうがく) 唯除五逆(ゆいじょごぎゃく) 誹謗正法(ひほうしょうぼう)」文
 「大無量寿経言(ごん)」というは、如来の四十八願をときたまえる経なり。「設我得仏」というは、もしわれ仏をえたらんときという御(み)ことばなり。「十方衆生」というは、十方の、よろずの衆生というなり。「至心信楽」というは、至心は、真実ともうすなり。真実ともうすは、如来の御(おん)ちかいの真実なるを至心ともうすなり。煩悩具足(ぼんのうぐそく)の衆生(しゅじょう)は、もとより真実の心(しん)なし、清浄の心なし。濁悪邪見(じょくあくじゃけん)のゆえなり。(原文は、東本願寺発行の『真宗聖典』五一二頁)
■参考 (頁はすべて『真宗聖典』)
 「現代語」としては、テクストを参照することなく、それだけで読むことができる、ということを基本方針としている。それはつまり、「現代語訳」ではなく「現代語」として、聖人の言葉に向き合っていく、ということだ。現代の言葉へと意味を開くにあたって参照した、他の聖教の言葉の一端をここに示す。

◆「大無量寿経言」というは、……
・如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。(一五二頁『教行信証』「教巻」)
・如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪世の群生海、如来如実の言を信ずべし。(二〇四頁「行巻」「正信偈」)

◆真実(の心)
・今三心の字訓を案ずるに、真実の心にして虚仮雑わることなし、正直の心にして邪偽雑わることなし。真に知りぬ、疑蓋間雑なきがゆえに、これを「信楽」と名づく。「信楽」はすなわちこれ一心なり。一心はすなわちこれ真実信心なり。(二二四頁「信巻」)
・「至心」は、真実ということばなり。真実は阿弥陀如来の御こころなり。(五三五頁『一念多念文意』)

◆煩悩具足の衆生
・凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。(五四五頁『一念多念文意』)

(訳:親鸞仏教センター)

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