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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 第十八願の文に続いて取り上げられる「銘文」は、「弥陀の本願力」を語っている。「南無阿弥陀仏」を聞くところに、その願いのはたらきをいただいて阿弥陀の世界に生まれるのだと、この文は言う。
 私たちは時として、思うどおりにならない今のこの世界を振り捨てて、まったく別の新しい世界に生まれたい、と考えることがある。目の前の悲しい現実に堪え切れず、ここではないどこか別の場所に生まれ変わりたい、と切に願うことがある。しかし、辛いことも悲しいこともなく自分の思い通りになるような狎こΝ瓩覆鼻∨榲にあるのだろうか。私たちが受け入れられないのは、本当は「この世界」ではなく「この自分自身」なのではないか。
 「安楽」や「極楽」といった言葉が示すように、浄土とは喜びの世界であると言われる。そこに生きるものは、みな喜ぶ。それはつまり、個人的な欲求が満たされているということではなくて、むしろそうした個人性が破られ、そこにお互いの存在をそのままに認める世界が広がっている、ということである。「願いの世界に生まれよ」とは、閉塞したこの身自身を知れ、自己中心的な世界から出でよ、という呼びかけである。
(研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 6 >> PDF版はこちら

現代語
 「其仏本願力」というのは、阿弥陀如来の願いのはたらきです。その願いのはたらきとは次のようなものである、というのです。
 「聞名欲往生」の「聞」とは、如来の誓いの「名」を「信じる」ことです。ただ漠然と聞くのでも思い思いに聞くのでもなく、「南無阿弥陀仏」として表れた如来の誓いを、そのまま信じることなのです。「欲往生」とは、「狄深造寮こΝ瓩棒犬泙譴茲Δ隼廚い覆気ぁ廚箸いΔ里任后G〕茲寮世い量召魑燭い覆信じるところに、「本当に平等な、喜びに開かれた世界に目覚めよ」という呼びかけを聞くのです。
 「皆悉到彼国」とは、如来の誓いである「南無阿弥陀仏」を信じ、その呼びかけのままに阿弥陀の世界に生まれようと思う人は、誰もがみな、もれることなくその世界にいたるのだ、というのです。阿弥陀の願いがこの身に開かれるのです。
(訳:親鸞仏教センター)

原 文
 また言(のたま)わく、「其仏本願力(ごぶつほんがんりき) 聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう) 皆悉到彼国(かいしつとうひこく) 自致不退転(じちふたいてん)」(大経)と。
 「其仏本願力」というは、弥陀(みだ)の本願力ともうすなり。「聞名欲往生」というは、聞というは、如来のちかいの御(み)なを信ずともうすなり。欲往生というは、安楽浄刹(あんらくじょうせつ)にうまれんとおもえとなり。「皆悉到彼国」というは、御(おん)ちかいのみなを信じてうまれんとおもう人はみなもれず、かの浄土にいたるともうす御(み)ことなり。
(『真宗聖典』五一三頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)
◆弥陀の本願力
・「本願力」と言うは、大菩薩(だいぼさつ)、法身(ほっしん)の中にして常に三昧(さんまい)にましまして、種種の身・種種の神通(じんずう)・種種の説法を現じたまうことを示す。みな本願力より起こるをもってなり。たとえば阿修羅(あしゅら)の琴(きん)の鼓(こ)する者なしといえども、音曲自然(いんぎょくじねん)なるがごとし。(一九三頁『教行信証』「行巻」『論註』)

◆聞名 / 如来のちかいの御なを信ず
・『経』に「聞(もん)」と言うは、衆生(しゅじょう)、仏願の生起(しょうき)・本末(ほんまつ)を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰(い)うなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向(えこう)の信心なり。(二四〇頁『教行信証』「信巻」)

・いかんが名づけて「聞不具足(もんふぐそく)」とする。如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じて、未(いま)だ六部を信ぜず。このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受持すといえども、読誦(どくじゅ)に能(あた)わずして他のために解説(げせつ)するは、利益(りやく)するところなけん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受け已(おわ)りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有(しょう)のためのゆえに、持読誦説(じどくじゅせつ)せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、とのたまえり。(同『涅槃経』)

・「聞其名号(もんごみょうごう)」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。きくというは、本願をききてうたがうこころなきを「聞」というなり。また、きくというは信心をあらわす御(み)のりなり。「信心歓喜(しんじんかんぎ) 乃至一念(ないしいちねん)」というは、信心は如来の御(おん)ちかいをききて、うたがうこころのなきなり。(五三四頁『一念多念文意』)

◆欲往生 / 安楽浄刹にうまれんとおもえ
・「欲生(よくしょう)」と言うは、すなわちこれ如来、諸有の群生(ぐんじょう)を招喚(しょうかん)したまうの勅命(ちょくめい)なり。すなわち真実の信楽(しんぎょう)をもって欲生の体とするなり。誠にこれ、大小・凡聖(ぼんしょう)・定散(じょうさん)・自力の回向にあらず。かるがゆえに「不回向」と名づくるなり。(二三二頁『教行信証』「信巻」)

◆かの浄土にいたる
・真心徹到(しんしんてっとう)して、苦の娑婆(しゃば)を厭(いと)い、楽の無為(むい)を欣(ねが)いて、永く常楽に帰すべし。(二三五頁 同「序分義」)
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