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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 「世界」とは何だろう。「娑婆世界」や「安養浄土」、「安楽浄土」といった言葉に示されるように、親鸞が『無量寿経』から引く最後の銘文は「世界」を語り、その転換を語るものである。
 「世界」とは第一に、私たちがそこに「ある」、その場所である。生まれることで世界が現れ、死ぬことで世界から離れるのだから、世界は私たち自身の「生」と「死」を契機として成り立っている。私たちは世界に生まれ、世界に死ぬのであり、生きるとは世界を生きるのである。この意味で世界は、「私たち自身が生きてある」ということを映し出す。「世界」と「私」は別ではない。
ここで大切なことは、親鸞はこの文を『教行信証』「信巻」に引用しているということだ。つまり、「娑婆」から「浄土」へと表現される世界の転換は、信心において起こるのである。文字どおり「死ぬ」のでも、どこか別の理想的世界に生まれ変わるのでもない。転換とは「信」において生じるところの、私たち自身の存在の転換である。私たちの存在が反映された「世界」全体の意味が変わる。「浄土に生まれよ」との呼びかけは、「お前は本当に生きているのか、本当に生まれていると言えるのか」と問いかけている。
(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 8 >> PDF版はこちら

現代語
 「必得超絶去 往生安養国」というのは、「必」は、かならず、ということです。かならずというのは、確かに定まったということであり、また「自然(じ ねん)である」ということです。「得」は、すでに得たのだ、ということ、「超」は、超えて、ということ、「絶」は、断ち切り、捨て去り、遠く離れる、ということ、「去」は、捨てる、往(ゆ)く、去る、ということです。息苦しさや虚しさを抱えながら生きていくしかない、私たち自身の“この世界”を断ち切って、途切れるはずのない「苦しみの連鎖」を遠く超え離れて往き去る、というのです。つまり、「往生安養国」──私たち自身の生きざまが根本からひっくり返されて、「安養浄土」という世界に新しく生まれ往(ゆ)くことは間違いない、というのです。この「安養」とは、私たち一人ひとりが直面しているこの暗闇の世界に“明るさ”と“開け”をもたらしてくれる、「阿弥陀如来」という存在をほめたたえる言葉なのでしょう。つまりこの言葉は、阿弥陀の願いがかたちとなった、「安楽浄土」と呼ばれる世界のことを言っているのです。(訳:親鸞仏教センター)

原 文
 また言(のたま)わく、「必得超絶去(ひっとくちょうぜつこ) 往生安養国(おうじょうあんにょうこく) 横截五悪趣(おうぜつごあくしゅ) 悪趣自然閉(あくしゅじねんぺい) 昇道無窮極(しょうどうむぐごく) 易往而無人(いおうにむにん) 其国不逆違(ごこくふぎゃくい) 自然之所牽(じねんししょけん)」(大経)抄出
「必得超絶去 往生安楽国」というは、必はかならずという。かならずというはさだまりぬというこころなり。また自然というこころなり。得はえたりという。超はこえてという。絶はたちすてはなる、という。去はすつという、ゆくという、さるというなり。娑婆世界をたちすてて、流転生死(るてんしょうじ)をこえはなれてゆきさるというなり。安養浄土に往生をうべしとなり。安養というは弥陀をほめたてまつるみこととみえたり。すなわち安楽浄土なり。(『真宗聖典』五一四頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)
「必」 ─かならず / さだまりぬ / 自然
・「必得往生」と言うは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云えり。「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。「必」の言は、審(つまびらか)〔あきらかなり〕なり、然(しからしむる)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。(一七八頁『教行信証』「行巻」)
・弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時、必定に入る。(二〇五頁同「正信偈」)
・「即得往生」というは、「即」はすなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。「得」は、うべきことをえたりという。真実信心をうれば、すなわち、無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。おさめとりたまうとき、すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり。しかれば、「必至滅度」の誓願を『大経』にときたまわく、……
(五三五頁『一念多念文意』)

絶 ─たちすてはなる
・「断」と言うは、往相の一心を発起するがゆえに、生として当に受くべき生なし。趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。かるがゆえにすなわち頓に三有の生死を断絶す。かるがゆえに「断」と曰うなり。「四流」は、すなわち四暴流なり。また生・老・病・死なり。 (二四四頁『教行信証』「信巻」)

娑婆世界をたちすてて、流転生死をこえはなれてゆきさる
・もろもろの行者に白さく、凡夫生死、貪して厭わざるべからず。弥陀の浄土、軽めて欣わざるべからず。厭えばすなわち娑婆永く隔つ、欣えばすなわち浄土に常に居せり。隔つればすなわち六道の因亡じ、輪廻の果自ずから滅す。因果すでに亡じてすなわち形と名と頓に絶うるをや。(二四四頁同「信巻」「般舟讃」)
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