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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 仏道における「さとり」の実現にかかわって、親鸞は「縦(竪<たて>)」と「横」という区別を語る。「他力」や「本願力」が「横」と表現されるのに対して、私たち自身のありようはどこまでも「縦」的なのだと。「思いも及ばないところから」やってくる横からの方向に対して、縦とはつまり、「私」を中心に世界の出来事が直線的に結び付き、見通しがはっきりと立っているということだ。想定されたもののなかで、私たちは前へ前へと突き進む。
 原発をめぐる状況についての、「完全にコントロールされている」といった発言がそのよい例だ。原子力という技術が実際に人間の手に負えるものかどうかはさておき、これを言葉どおりに信じる人はいないだろう。こうした発言から浮かび上がってくるのは、何より自分自身すら満足にコントロールできない私たちの姿である。一時繰り返された「想定外」という言葉は、私たち自身に根づいた「縦」的な生きざまを思い知らせるものだったが、それを再び私たちは「想定内」という幻想で覆い隠そうとしている。喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れ、結果として同じ苦しみを何度も味わわねばならない。執着の根を横殴りに、根こそぎ断ち切るようなはたらきを本当に望んでいるのは、実は私たち自身なのではないか。
(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 9 >> PDF版はこちら

現代語
 「横截五悪趣 悪趣自然閉」の、「横」は「よこざま」ということです。よこざまとは、阿弥陀如来の願いのはたらきを信じるということであって、私たち自身の思いはからいや想定が破られるということです。「五悪趣」や「四生」【注】といった言葉が示しているように、私たちは誰もが生まれ育った環境に縛られ、これまで自分がしてきたことに振り回されながら生きています。そうした生きざまを、自らの意志でどうこうしようというのではなく、如来の願いのはたらきのもとに断ち切り、そこからひとりでに離れることになる、ということで「横」というのです。これを「他力」と呼び、「横超」と言います。「横」は「竪(たて)」──「たてざま」──に対する言葉、「超」は「迂」──「めぐる」──に対する言葉です。この「竪」と「迂」とは、それぞれの努力によって「仏のさとり」に到達しようとするあり方──つまり、自分の足で一歩一歩“真実”に近づいていこうとか、気の遠くなるような長い時間をかけてでもこの世の苦しみを乗り越えていこうという「自力」の歩み──を表すものです。一方、「横超」とは、「他力」という真実の教えの根幹なのです。「截」というのは、きる、ということで、絶えることなく繰り返される「苦」の連鎖を「よこざま」に断ち切るのです。「悪趣自然閉」とは、如来の願いに命を賭けて応えずにはいられない、という心が起こるとき、果てしなく続いてきた迷い苦しみの連鎖が閉じるため、「自然閉」というのです。「閉」ですから、閉じるのです。迷いの世界を破ろうという阿弥陀の願いに導かれて、私たちの“この身”がそっくりそのまま、おのずと生まれ変わるのです。
【注】 「五悪趣」とは、三悪趣(「地獄」、「餓鬼」、「畜生」)に「人」と「天」を加えた五つのありようを指す(後出の「五道生死」も同じ)。これに「修羅」を加えて「六道」とも言うが、いずれも生まれ変わり死に変わり、流転輪廻し止むことのない、我々の苦しみの生の全体を表現する言葉である。また「四生」とは、胎生、卵生、湿生、化生の四種の生まれのことで、生まれ来るものすべてを表す。これら、人間として生まれ、生きていくという中で決して逃れることのできない諸条件を「超える」のである。
(訳:親鸞仏教センター)

原 文
 「横截五悪趣(おうぜつごあくしゅ) 悪趣自然閉(あくしゅじねんぺい)」というは、は、よこさまという。よこさまというは、如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず。五悪趣を自然(じねん)にたちすて、四生(ししょう)をはなるるを横という。他力ともうすなり。これを横超(おうちょう)というなり。横(おう)は竪(しゅ)に対することばなり。超(ちょう)は迂(う)に対することばなり。竪はたたざま、迂はめぐるとなり。竪と迂とは自力聖道のこころなり。横超はすなわち他力真宗の本意なり。截(せつ)というは、きるという。五悪趣のきずなをよこさまにきるなり。「悪趣自然閉」というは、願力に帰命すれば、五道生死をとずるゆえに自然閉というなり。はとずというなり。本願の業因にひかれて、自然にうまるるなり。(『真宗聖典』五一四頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)
「横超」 ─他力真宗の本意  ⇔「竪」、「迂」 ─自力聖道のこころ
・道俗時衆等、おのおの無上心を発せども、生死はなはだ厭いがたく、仏法また欣いがたし。共に金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。正しく金剛心を受け、一念に相応して後、果、涅槃を得ん者と云えり。(二三五頁『教行信証』「信巻」「玄義分」)
・「横超断四流」と言うは、「横超」は、「横」は竪超・竪出に対す、「超」は迂に対し回に対するの言なり。「竪超」は、大乗真実の教なり。「竪出」は大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。「横超」は、すなわち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また「横出」あり、すなわち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には、品位階次を云わず、一念須臾の傾に速やかに疾く無上正真道を超証す、かるがゆえに「横超」と曰うなり。(二四三頁同「信巻」)
・おおよそ一代の教について、この界の中にして入聖得果するを「聖道門」と名づく、「難行道」と云えり。この門の中について、大小、漸頓、一乗・二乗・三乗、権実、顕密、竪出・竪超あり。すなわちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。安養浄刹にして入聖証果するを「浄土門」と名づく、「易行道」と云えり。この門の中について、横出・横超、仮・真、漸・頓、助・正・雑行、雑修・専修あるなり。……「横超」とは、本願を憶念して自力の心を離るる、これを「横超他力」と名づくるなり。これすなわち専の中の専、頓の中の頓、真の中の真、乗の中の一乗なり、これすなわち真宗なり。(三四一頁「化身土巻」)
・この一心は、横超の信心なり。横は、よこさまという。超は、こえてという。よろずの法にすぐれて、すみやかに、とく生死海をこえて、仏果にいたるがゆえに、超ともうすなり。これすなわち大悲誓願力なるがゆえなり。(五五五頁『唯信鈔文意』)

願力に帰命すれば
・「言南無者」というは、すなわち帰命ともうすみことばなり。帰命はすなわち釈迦・弥陀二尊の勅命にしたがいて、めしにかなうともうすことばなり。このゆえに「即是帰命」とのたまえり。「亦是発願回向之義」というは、二尊のめしにしたごうて安楽浄土にうまれんとねがうこころなりとのたまえるなり。(五二一頁「善導銘文」)

「閉」 ─五道生死をとずる
・よく三有?縛の城を出で、よく二十五有の門を閉ず。よく真実報土を得しめ、よく邪正の道路を弁ず。よく愚痴海を竭かして、よく願海に流入せしむ。(二〇二頁『教行信証』「行巻」)
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