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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 「事実が知りたい」。情報化した現代において、この要求は必然的なものだ。だが、それはときに非常に切実で深刻なものとなる。そうした場合に求められる〝事実〟とは、もはや単なる情報の域に止まってはいない。
 「念仏の教えに触れた」、とは勢至菩薩における一つの事実である。それはまた、語り手である親鸞自身にも重なる事実であろう。「仏」に出遇(あ)い、また、念仏の教えに生きる人に漂う「真実の香り」を聞く。「真実」に関わる、この生き生きとしたリアリティは、私たちの求める「事実」そのものの質を厳しく問い糺(ただ)しているのではないか。(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 14
「勢至菩薩の銘文」(三)
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現代語
 「若衆生心(にゃくしゅじょうしん) 憶仏念仏(おくぶつねんぶつ)」というのは、もし私たちが心から「仏」を思い、決して忘れることがないのであれば、ということです。そうすれば「現前当来(げんぜんとうらい) 必定見仏(ひつじょうけんぶつ) 去仏不遠(こぶつふおん) 不仮方便(ふけほうべん) 自得心開(じとくしんかい)」、つまり、まさに今ここにおいて仏と出遇うことができるし、この心のもと、絶えず仏と出遇い続けることになるのだ、というのです。誰であれ、仏から見放されるようなことはありませんし、念仏以外に、何か別の方法が必要となることもありません。仏と出遇い、仏の心を感じるところに、おのずと「真実のさとり」に触れることができる、というのです。
 「如染香人(にょぜこうにん) 身有香気(しんうこうけ)」というのは、そのように念仏の心が開かれた人は、あたかも全身がかぐわしい香りに包まれた人のようである、というのです。念仏をいただいた勢至菩薩の心を、かぐわしい香りを漂わせている人に喩(たと)えているわけです。「此則名曰(しそくみょうわつ) 香光荘厳(こうこうしょうごん)」と言われるのも、このためです。勢至菩薩自らの心のうちに「念仏の心」が大切に抱かれているということを、「染香人」という、よい香りで全身が染まった人に喩えているのです。

原 文
 大勢至菩薩御銘文
 「若衆生心 憶仏念仏」というは、もし衆生心に仏を憶し、仏を念ずれば。「現前当来 必定見仏 去仏不遠 不仮方便 自得心開」というは、今生にも仏をみたてまつり、当来にもかならず仏をみたてまつるべし、となり。仏もとおざからず、方便をもからず、自然(じねん)に心にさとりをうべしとなり。「如染香人 身有香気」というは、こうばしき気、みにある人のごとく、念仏のこころ、もてる人に、勢至のこころをこうばしき人にたとえもうすなり。このゆえに、「此則名曰 香光荘厳」ともうすなり。勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころをもてるを、染香人にたとえもうすなり。 (『真宗聖典』五一六頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

心に仏を憶し、仏を念ずれば
・弥陀の尊号となえつつ 信楽まことにうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもいあり
(三〇〇頁『教行信証』「真仏土巻」)
・仏阿難に告げたまわく、「無量寿仏の威神光明、最尊第一にして、諸仏の光明の及ぶことあたわざるところなり。乃至 このゆえに無量寿仏は、無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。それ衆生ありて、この光に遇う者は、三垢消滅し、身意柔軟なり。歓喜踊躍し、善心生ず。(五〇三頁『正像末和讃』)
・「聞名念我」というは、「聞」は、きくという。信心をあらわす御のりなり。「名」は、御なともうすなり。如来のちかいの名号なり。「念我」ともうすは、ちかいのみなを憶念せよとなり。諸仏称名の悲願にあらわせり。憶念は、信心をえたるひとは、うたがいなきゆえに、本願をつねにおもいいずるこころのたえぬをいうなり。
(五五一頁『唯信鈔文意』)


仏をみたてまつる
・「須臾に西の岸に到りて善友あい見て喜ぶ」というは、すなわち衆生久しく生死に沈みて、曠劫より輪回し迷倒して、自ら纏うて解脱に由なし、仰いで釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまうに籍って、今二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念念に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生まるることを得て、仏とあい見て慶喜すること何ぞ極まらんと喩うるなり。 (二二一頁「信巻」「散善義」)


こうばしき気、みにある人 / 念仏のこころ、もてる人
・父王、仏に白さく、「念仏の功、その状いかんぞ」と。仏、父王に告げたまわく、「伊蘭林の方四十由旬ならんに、一科の牛頭栴檀あり。根芽ありといえども、なお未だ土を出でざるに、その伊蘭林ただ臭くして香ばしきことなし。もしその華菓を噉ずることあらば、狂を発して死せん。後の時に栴檀の根芽ようやく生長して、わずかに樹に成らんと欲す。香気昌盛にして、ついによくこの林を改変してあまねくみな香美ならしむ。衆生見る者、みな希有の心を生ぜんがごとし。」仏、父王に告げたまわく、「一切衆生、生死の中にありて、念仏の心もまたかくのごとし。ただよく念を繫けて止まざれば、定んで仏前に生ぜん。ひとたび往生を得れば、すなわちよく一切諸悪を改変して大慈悲を成ぜんこと、かの香樹の伊蘭林を改むるがごとし。」 
(一七一頁「行巻」『安楽集』)

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