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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
親鸞によって提示される龍樹の言葉は、「念ずること」について語る。
  「第一句「人能念是仏」は普通、その後の「即時入必定」と対応して、「よく~すれば……」と条件節として読まれるものだ。しかし親鸞はこれを、一つの呼びかけの言葉として切り出してくる。後半の「心念阿弥陀」についても同じだ。「この仏の無量の功徳を念ずべし」、「心に阿弥陀を念ずべし」。つまり「念」とは第一に、われわれ自身が「念ずる」ことではなく、「念ぜよ」との呼び声である。龍樹の「念」には、阿弥陀の声が響いている。
 けれど現代の私たちにとって、個人の声はあくまで個人の声としてしか聞こえない。言葉の奥にある、その人をしてそう言わしめるものを見ることができない。国内外から飛びこんでくる痛ましい事件と、異質なものを排除していこうと勇むこの国の空気。現代は、誰もが自分の身を守ろうと必死で、他人の声を聞いている余裕がない。しかし、お互いへの通路を失った先に、私たちが共に歩んでいける道はあるのだろうか。 (元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 16
「龍樹菩薩の銘文」
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現代語
 「人能念是仏(にんのうねんぜぶつ) 無量力功徳(むりょうりきくどく)」とは、どのような人であっても、この「仏」のはかりしれない「功徳」を念じなさい、というのです。「即時入必定(そくじにゅうひつじょう)」とは、如来からのこの声を聞きとり、深く信じることができるなら、今、この場所において、そのまま「必定に入る」、というのです。「必定に入る」とは、阿弥陀の真実の呼びかけにしたがって念じるならば、その大きなはたらきのなかに、必ず仏になると確かに定まるのだ、というのです。「是故我常念(ぜこがじょうねん)」とは、私(龍樹)はいつも念じているのだ、というのです。
 「若人願作仏(にゃくにんがんさぶつ)」とは、私たちがもし、この世界に深く苦悩し「仏のさとり」を成就したいと願うのであれば、「心念阿弥陀(しんねんあみだ)」、つまり心に「阿弥陀如来」を念じなさい、というのです。阿弥陀を念ずるなら、「応時為現身(おうじいげんしん)」なのだと言われます。「応時」とは、信じる心が起こる、まさにそのとき、その瞬間に阿弥陀の願いが成就する、ということで、「為現身」とは、阿弥陀の誓いを信じる人のために「仏」が現れる、ということです。「是故我帰命(ぜこがきみょう)」とは、このように龍樹菩薩が、ただただ阿弥陀如来の呼びかけを信じ、いつ、どのようなときであってもそれにしたがわずにはいられないのだ、とおっしゃっているのです。

原 文
 『十住毘婆沙論』に曰わく、「人能念是仏 無量力功徳 即時入必定 是故我常念 若人願作仏 心念阿弥陀 応時為現身 是故我帰命」文

 「人能念是仏 無量力功徳」というは、ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。「即時入必定」というは、信ずれば、すなわちのとき必定にいるとなり。必定にいるというは、まことに念ずれば、かならず正定聚(しょうじょうじゅ)のくらいにさだまるとなり。「是故我常念」というは、われつねに念ずるなり。「若人願作仏」というは、もし人、仏にならんと願ぜば、「心念阿弥陀」という。心(しん)に阿弥陀を念ずべしとなり。念ずれば、「応時為現身」とのたまえり。応時というは、ときにかなうというなり。為現身ともうすは、信者のために如来のあらわれたまうなり。「是故我帰命」というは、龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。 (『真宗聖典』五一七頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

能/よく……べし
・しかれば名(みな)を称するに、能(よ)く衆生の一切の無明(むみょう)を破し、能(よ)く衆生の一切の志願を満てたまう。称名はすなわちこれ最勝真妙の正業(しょうごう)なり。(一六一頁『教行信証』「行巻」)
・念弥陀仏ともうすは、尊号を称念するとなり。「能念皆見(のうねんかいけん) 化仏菩薩(けぶつぼさつ)」ともうすは、能念はよく名号を念ずとなり。よく念ずともうすは、ふかく信ずるなり。(五二六頁「源空銘文」)


仏の無量の功徳を念ず
・諸仏はみな、徳を名に施す。名を称するは、すなわち徳を称するなり。徳、よく罪を滅し福を生ず。名もまたかくのごとし。もし仏名を信ずれば、よく善を生じ悪を滅すること、決定(けつじょう)して疑いなし。
称名往生(しょうみょうおうじょう)、これ何の惑(まど)いかあらんや、と。(一八八頁「行巻」『大経義疏』)


すなわちのとき必定にいる/かならず正定聚のくらいにさだまる
・「必得往生(ひっとくおうじょう)」と言うは、不退の位に至ることを獲(う)ることを彰(あらわ)すなり。『経』(大経)には「即得」と言えり、『釈』(易行品)には「必定」と云(い)えり。「即」の言(ごん)は、願力を聞くに由(よ)って、報土の真因決定する時剋(じこく)の極促を光闡(こうせん)せるなり。「必」の言は、審(つばびらか)〔あきらかなり〕なり、
然(しからしむる)なり、分極なり、金剛心成就の貌(かおばせ)なり。 (一七八頁「行巻」)


仏にならんと願ぜば……心に弥陀を念ずべし
・「是心作仏(ぜしんさぶつ)」は、言うこころは、心よく作仏するなり。「是心是仏」は、心の外に仏ましまさずとなり。譬(たと)えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるをもってのゆえに、すなわちよく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなわち火となるがごときなり。
(二四二頁「信巻」『論註』)


ときにかなう
・如来、無蓋(むがい)の大悲をもって三界(さんがい)を矜哀(こうあい)したまう。世に出興する所以(ゆえ)は、道教を光闡して、群萌を拯(すく)い、恵むに真実の利をもってせんと欲(おぼ)してなり。無量億劫に値(もうあ)いがたく、見たてまつりがたきこと、霊瑞華(れいずいけ)の時あって時にいまし出(い)ずるがごとし。
(一五三頁「教巻」『大経』)


信者のために如来のあらわれたまう
・『涅槃経』に依るに、「仏の言(のたま)わく、もし人ただよく心を至して、常に念仏三昧を修すれば、十方諸仏恒(つね)にこの人を見そなわすこと、現に前に在(ましま)すがごとし。」(二四六頁「信巻」『安楽集』)
・この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御(おん)すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。……この報身より、応化等の無量無数(むしゅ)の身(しん)をあらわして、微塵世界に無碍の智慧光をはなたしめたまうゆえに、尽十方無碍光仏ともうすひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明のやみをはらい、悪業にさえられず。このゆえに、無碍光ともうすなり。
(五五四頁『唯信鈔文意』)


つねに阿弥陀如来を帰命したてまつる
・言南無者」というは、すなわち帰命ともうすみことばなり。帰命はすなわち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがいて、めしにかなうともうすことばなり。このゆえに「即是帰命」とのたまえり。「亦是発願回向之義(やくぜほつがんえこうしぎ)」というは、二尊のめしにしたごうて安楽浄土にうまれんとねがうこころなりとのたまえるなり。(五二一頁「善導銘文」)

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