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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 天親の本銘文は「論曰」の語で始まる。これは、『無量寿経』銘文が「経言」で始まるのに対応して、重要なことだ。ここで釈尊の言葉(経)は、一人の聞き手自身を表現する言葉としてふたたび語り直される(論)。
 「理論」、「議論」、「論文」など、現代で「論」とは、一定の筋道をもった内容や事柄を意味する。この点、「論」は客観的でなくてはならない。けれど天親の『論』は、あくまでこの身にかかわり、この身として語りだされるような真理を「こころ」とする。自分が生きるも死ぬも、まさにそこにしかないという、命懸けの表明だ。そんな表現にはなかなか出遇(あ)えない。
(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 17
「天親菩薩の銘文」(一)
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現代語
 「婆藪般豆菩薩論曰(ばすばんずぼさつろんわつ)」「婆藪般豆」(Vasubandhu)とはインドの言葉で、中国では「天親菩薩」と言い、今日ではまた「世親菩薩」とも言われます。旧訳では天親と翻訳され、新訳では世親と翻訳されている方のことです(注1)。「論曰」とは、この世親菩薩が阿弥陀如来の本願を解き明かされたもののことを「論」と言い、これこそ世親菩薩のお心にほかならない、という意味で「曰」と言うのです。世親菩薩が著されたこの「論」は、『浄土論』とも『往生論』とも呼ばれています。
 「世尊我一心(せそんがいっしん)」「世尊」とはお釈迦さまのことです。「我」とは「この私の身に」ということで、お釈迦さまの言葉を世親菩薩がご自身のこととして引き受けておられるのです。「一心」というのは、「阿弥陀の本願を信じなさい」というお釈迦さまの仰せに対して、二心なく疑いなく、そのこと一つに本当にうなずく、というのです。これこそ、本願に誓われている「真実の信心」にほかなりません。
注1
 経典の中国語への翻訳に関して、一般に唐の玄奘三蔵(六〇二~六六四)を境に、それ以前の訳を「旧訳」、玄奘以降の訳を「新訳」と呼ぶ。なお、旧訳の代表者である鳩摩羅什(四~五世紀頃)からさらに時代を遡(さかのぼ)って以前の訳は「古訳」と言われる。

原 文
 婆藪般豆菩薩論曰(ばすばんずぼさつろんわつ) 「世尊我一心(せそんがいっしん) 帰命尽十方(きみょうじんじっぽう) 無碍光如来(むげこうにょらい) 願生安楽国(がんしょうあんらくこく) 我依修多羅(がえしゅたら) 真実功徳相(しんじつくどくそう) 説願偈総持(せつがんげそうじ) 与仏教相応(よぶっきょうそうおう) 観彼世界相(かんぴせかいそう) 勝過三界道(しょうがさんがいどう) 究竟如虚空(くきょうにょこく) 広大無辺際(こうだいむへんざい)」(浄土論)と。
 また曰わく、「観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐむくかしゃ) 能令速満足(のうりょうそくまんぞく) 功徳大宝海(くどくだいほうかい)」(浄土論)
 「婆藪般豆菩薩論曰」というは、婆藪般豆は天竺(てんじく)のことばなり。晨旦(しんだん)には天親菩薩ともうす。またいまはいわく、世親菩薩ともうす。旧訳(くやく)には天親、新訳には世親菩薩ともうす。論曰は、世親菩薩、弥陀の本願を釈しあらわしたまえる御(み)ことを、論というなり。曰は、こころをあらわすことばなり。この論をば『浄土論』という。また『往生論』というなり。
 「世尊我一心」というは、世尊は釈迦如来なり。我(が)ともうすは、世親菩薩のわがみとのたまえるなり。一心というは、教主世尊の御ことのりをふたごころなくうたがいなしとなり。すなわちこれまことの信心なり。
(『真宗聖典』五一七~五一八頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

旧訳には天親、新訳には世親菩薩
・『無量寿経論』一巻  元魏天竺三蔵菩提留支(げんぎてんじくさんぞうぼだいるし)の訳なり
  婆藪盤豆菩薩の造なり、婆藪盤豆は、これ梵語なり。
  旧訳には天親、これはこれ訛(あやま)れるなり、新訳には世親なり、これを正とす。
(四六〇頁『入出二門偈』)


我/わがみ
・世尊、我(われ)世間を見るに、伊蘭子(いらんし)より伊蘭樹を生ず、伊蘭より栴檀(せんだん)樹を生ずるをば見ず。我今始めて伊蘭子より栴檀樹を生ずるを見る。「伊蘭子」は、我が身これなり。「栴檀樹」は、すなわちこれ我が心、無根の信なり。「無根」は、我初めて如来を恭敬(くぎょう)せんことを知らず、法・僧を信ぜず、これを「無根」と名づく。世尊、我もし如来世尊に遇(もうあ)わずは、当に無量阿僧祇(あそうぎ)劫において、大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今仏を見たてまつる。これ仏を見るをもって得るところの功徳、衆生の煩悩悪心を破壊(はえ)せしむ、と。  (二六五頁『教行信証』「信巻」『涅槃経』)
・「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
(六四〇頁『歎異抄』)


一心/ふたごころなくうたがいなし/まことの信心
・「我一心」は、天親菩薩の自督の詞(ことば)なり。言うこころは、無碍光如来を念じて安楽に生まれんと願ず。心心相続して他想間雑(けんぞう)なし。 (一六八頁「行巻」『論註』)
・しかるに『経』に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起(しょうき)・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。「信心」と言うは、すなわち本願力回向の信心なり。「歓喜」と言うは、身心の悦予の貌(かおばせ)を形(あらわ)すなり。「乃至」と言うは、多少を摂するの言(ことば)なり。「一念」と言うは、信心二心なきがゆえに「一念」と曰う。これを「一心」と名づく。一心はすなわち清浄報土の真因なり。金剛の真心を獲得すれば、横(おう)に五趣・八難の道を超え、必ず現生(げんしょう)に十種の益(やく)を獲(う)。
(二四〇頁「信巻」)

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