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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 私たちは「限界」を生きている。可能性にむかって全力で生きようとするなら、必ず限界にぶつからねばならない。ただそれが、挫折や割り切りではなく、「尊さ」に転じることがある。「今ここに生きていること」に論理的な理由はないが、しかしだからこそ、その事実がこの身に確かに受け止められたなら、それは何より尊い。
 「尽十方」も「無碍」も、私たち自身の限界をはっきりと知らしめる言葉だ。ただかけ離れているのではなく、私たち一人ひとりの姿を浮き彫りにする光だ。どうにもならないこの身が、しかし確かにそのように生きてあるという事実が、そのままに語られているのである。
(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 18
「天親菩薩の銘文」(二)
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現代語
 「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の、「帰命」とは「南無」です。「帰命」とは、如来からの呼びかけにしたがわずにはいられない心が起こる、ということです。「尽十方無碍光如来」とは「阿弥陀如来」のことで、この如来は「光」です。「尽十方」「尽」は、尽くす、ということ、ことごとく、ということです。「十方」に広がるあらゆる世界(注1)を尽くして、ことごとく光が満ちている、というのです。「無碍」とは、妨げられることなく、すべてを超えていく、ということです。妨げられないというのは、心のなかから次々とわき起こってくる煩悩にどれだけ苦しめられようと、また、後にも先にもまったく救いがないような現実を生きていようと、そうした私たち自身の「闇」を照らすべく、光がどこまでも行きわたってくれているのです。「光如来」とは、阿弥陀仏です。この如来をまた、「不可思議光仏」と言うのです。この如来は智慧の「かたち」です。私たちには触れようのない真実が「智慧の光」と表現されて、「十方」の数限りないあらゆる世界に余すところなく満ちているのだと知りなさい、というのです。
注1
 東西南北の四方とその間の四方(北東、北西、南東、南西)に、上下の二方を加えて「十方」と呼ぶ。あらゆる世界を表現する言葉。

原 文
 「帰命尽十方無碍光如来」ともうすは、帰命は南無なり。また帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり。尽十方無碍光如来ともうすは、すなわち阿弥陀如来なり。この如来は光明なり。尽十方というは、尽はつくすという、ことごとくという。十方世界をつくして、ことごとくみちたまえるなり。無碍というは、さわることなしとなり。さわることなしともうすは、衆生の煩悩悪業にさえられざるなり。光如来ともうすは、阿弥陀仏なり。この如来はすなわち不可思議光仏ともうす。この如来は智慧のかたちなり。十方微塵刹土(みじん せつど)にみちたまえるなりとしるべしとなり。 (『真宗聖典』五一八頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

帰命/南無/如来の勅命にしたがうこころ
・「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、至なり。また帰説(きえつ)〔よりたのむなり〕なり、説の字、悦(えつ)の音(こえ)、また帰説(きさい)〔よりかかるなり〕なり、説の字は、税(さい)の音、悦税二つの音は告ぐるなり、述(のぶ)なり、人の意(こころ)を宣述(のぶ)るなり。「命」の言は、業なり、招引(まねきひく)なり、使なり、教なり、道なり、信なり、計(はからう)なり、召(めす)なり。ここをもって、「帰命」は本願招喚(しょうかん)の勅命なり。 (一七七頁『教行信証』「行巻」)


十方世界をつくして、ことごとくみちたまえる
・設(たと)い我仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下(しも)百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ、と。  (三〇〇頁「真仏土巻」『無量寿経』)
・この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海(ぐんじょうかい)の心(しん)なり。
(五五四頁『唯信鈔文意』)


さわることなし/衆生の煩悩悪業にさえられず
・無碍光の利益より 威徳広大の信をえて かならず煩悩のこおりとけ すなわち菩提のみずとなる
/罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし
(四九三頁「曇鸞讃」)


この如来は智慧のかたちなり
・宝海ともうすは、よろずの衆生をきらわず、さわりなく、へだてず、みちびきたまうを、大海のみずのへだてなきにたとえたまえるなり。この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏と、なりたまうがゆえに、報身(ほうじん)如来ともうすなり。これを尽十方無碍光仏となづけたてまつれるなり。この如来を、南無不可思議光仏とももうすなり。この如来を方便法身とはもうすなり。方便ともうすは、かたちをあらわし、御なをしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち、阿弥陀仏なり。この如来は、光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。 (五四三頁『一念多念文意』)

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