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研究活動報告
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会
 「親鸞」という名は「天親」と「曇鸞」のそれぞれ一字に由来すると言われる。また、『教行信証』にとって、両者が著述した『浄土論』および『浄土論註』は非常に大きな位置を占めている。しかし、本『銘文』において、思想的内容が深く語り出される天親の銘に対して、曇鸞はその行実が描かれるのみである。
  一個人をほめ讃えるということは、ともすれば相手への一方的な傾斜や全面的な肯定に陥ってしまう。信頼や尊敬と言えば聞こえはいいが、実際はただ、自らが負うべき責任を相手に預けてしまっている場合が多い。そのような信とは結局、屈折した自己主張の表れにすぎないだろう。相手を敬っているつもりが、足蹴にしているのかもしれない。
 曇鸞に対する親鸞の関係がそうではないのは、その讃嘆が個人を超えた「真実」に焦点を結んでいるためだ。「神智高遠 三国知聞」や「梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩」といった句は、個人に向けられているようで、実はそうした関係の場を開いている本願を讃えている。状況によってくっついたり離れたりする人間関係を生きる私たちに、人と人とが本当に尊敬し合える場とは何か、と問われている。
(元研究員 内記 洸)
『尊号真像銘文』試訳 22
「曇鸞和尚の銘文」
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現代語
  「釈の曇鸞(どんらん)法師は幷州(へいしゅう)の汶水県(ぼっしいけん)の人なり。」「幷州」 とは「州」という大きな区域を指す名前で、「汶水県」とはそのなかの「県」という小さな地域を指す言葉です。「魏末高斉之初猶在(ぎのすえこうせいのはじめなおいます) 」というのは、「魏末(ぎまつ)」とは中国にあった王朝の名前です。その「末」ですから、「魏」という王朝の終わりのころに、ということです。「高斉之初(こうせいししょ)」とは、(高氏によって建てられた)「斉」という王朝の初めに、ということです。「猶在(ゆざい)」ですから、曇鸞大師は、その魏から斉に至る、二つの時代にわたって生きておられた、というのです。「神智高遠(じんちこうおん)」とは、曇鸞和尚は、智慧がとても優れていらっしゃったということ。「三国知聞(さんごくちもん)」とは、「三国」、つまり「魏」と「斉」と「 梁(りょう) 」という三つの国の世に生きておられ〔注1〕、「知聞」ですから、「曇鸞」という名が広く親しまれ、この三つの国々の時代、多くの民衆に深く尊ばれていた、というのです。「洞暁衆経(とうきょうしゅきょう) 」とは、あらゆる経典に深く精通しておられた、ということで、「独出人外(どくしゅつにんがい)」とは、あらゆる人に抜きんでて優れた方であった、というのです。「梁国の天子(てんし)」というのは、「梁」という王朝の王で、「蕭王(そうおう)」と呼ばれた方のことです〔注2〕。「 恒向北礼(つねにきたにむこうてらいしたてまつる) 」とは、梁のこの王は曇鸞を菩薩として崇め、曇鸞のおられる北の方角にいつも礼拝しておられた、というのです。「 註解往生論(ちゅうげおうじょうろん)」とは、曇鸞が世親の『浄土論』を詳しく解釈なさって、『註論』(浄土論註)という、阿弥陀の本願を明かす「論」をお作りになった、ということです。「裁成両巻(さいじょうりょうかん)」ですから、その『註論』とは上下二巻に分けて著されているのです。「 釈迦才(しゃくのかさい)の三巻の浄土論」というのは、「釈迦才」「釈」とは、お釈迦さまの教えをいただいた弟子であることを表す言葉です。「迦才」とは、浄土の教えを歩まれた先達で、知者であったと言われています。この方が三巻の『浄土論』を著しておられ、そのなかにこの曇鸞和尚の事跡が示されている、というのです。

〔注1〕
・「魏」(北魏、386-550〔東〕/556〔西〕):鮮卑(せんぴ)族の拓跋珪(たくばつけい)(道武帝)による建国。南北朝時代の、北朝最初の国。534年に東魏と西魏に分裂。
・「斉」(北斉、550-577):南北朝時代の北朝の一つで、東魏の大丞相(じょうしょう)高洋が帝位を奪って建国。南朝の斉に対して北斉と呼ぶ。本銘文には「高斉」(高氏の斉)とある。
・「梁」(502-557):南北朝時代の南朝の一つ。502年、蕭衍(しょうえん)が南斉の帝位を奪って創設。

原 文
 斉朝(せいちょう)の曇鸞和尚(かしょう)の真像の銘文
 「釈曇鸞法師者幷州汶水県人也(しゃくのどんらんほうしはへいしゅうぼっしいけんのひとなり) 魏末高斉之初猶在(ぎのすえこうせいのはじめなおいましき) 神智高遠(じんちこうおんにして) 三国知聞(さんごくにちもんす) 洞暁衆経(あきらかにしゅきょうをさとること) 独出人外(ひとりじんがいにいでたり) 梁国天子蕭王(りょうこくのてんしそうおう) 恒向北礼鸞菩薩(つねにきたにむかいてらんぼさつとらいす) 註解往生論(おうじょうろんをちゅうげして) 裁成両巻(りょうかんにことはりなす) 事出釈迦才三巻浄土論也(ことしゃくのかさいのさんかんのじょうどろんにいでたるなり)」文
 「釈の曇鸞法師は幷州の汶水県の人なり。」幷州はくにのななり、汶水県はところのななり。「魏末高斉之初猶在」というは、魏末というは、晨旦(しんだん)の世のななり。末は、すえというなり。魏の世のすえとなり。高斉之初は、斉という世のはじめというなり。猶在は、魏と斉との世になおいましきというなり。「神智高遠」というは、和尚の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」というは、三国は魏と斉と梁とこのみつの世におわせしとなり。知聞というは、みつの世にしられきこえたまいきとなり。「洞暁衆経」というは、あきらかによろずの経典をさとりたまうとなり。「独出人外」というは、よろずの人にすぐれたりとなり。「梁国の天子」というは、梁の世の王というなり。蕭王のななり。「恒向㆑北礼」というは、梁の王つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまいけるなり。「註解往生論」というは、この『浄土論』をくわしう釈したまうを、『註論』ともうす論をつくりたまえるなり。「裁成両巻」というは、『註論』は二巻になしたまうなり。「釈迦才の三巻の浄土論」というは、釈迦才ともうすは、釈というは、釈尊の御弟子とあらわすことばなり。迦才は、浄土宗の祖師なり。知者にておわせし人なり。かの聖人の三巻の『浄土論』をつくりたまえるに、この曇鸞の御ことはあらわせりとなり。 (『真宗聖典』519~520頁)
■参考(頁はすべて『真宗聖典』)

梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩
・本師曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて、菩薩と礼したてまつる。三蔵流支(さんぞうるし)、浄教を授けしかば、仙経を焚焼(ぼんしょう)して楽邦(らくほう)に帰したまいき。(206頁「行巻」「正信偈」)
・本師曇鸞大師をば 梁の天子蕭王は おわせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける
(494頁「曇鸞讃」)


その他補足
・世俗の君子幸臨し勅(ちょく)して浄土のゆえをとう 十方仏国浄土なり なにによりてか西にある / 鸞師こたえてのたまわく わが身は智慧あさくして いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず / 一切道俗もろともに 帰(き)すべきところぞさらになき 安楽勧帰のこころざし 鸞師ひとりさだめたり / 魏の主勅して幷州の 大巌(だいがん)寺にぞおわしける ようやくおわりにのぞみては 汾州にうつりたまいにき/ 魏の天子はとうとみて 神鸞(しんらん)とこそ号せしか おわせしところのその名をば 鸞公巌(らんこうがん)とぞなづけたる / 浄業さかりにすすめつつ 玄忠(げんちゅう)寺にぞおわしける 魏の興和(こうか)四年に遙山(ようさん)寺にこそうつりしか (491~492頁「曇鸞讃」)

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