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![]() ──話を戻しますと、こうした「死後再会」という死生観と「冥顕論」とはどのように交差しているのでしょうか。 格別な情愛関係のあった死者との再会というのは、見えない、見られるという死者との関係が、互いに見える、見られるという関係に再びなるということ。死という線を越えて見る、見られるという関係に再び復活させる。死が介在していますから、単にこの世に生きていたときの見る、見られるというレベルを超えた、より高いレベルでの見る、見られるという関係の復活だと。これがまさに人倫の救済であり、再会とはそういうことだと私には考えられます。「死後再会」ということも、冥/顕の世界観から見ていく必要があるのだろうと思うわけです。冥/顕の世界観を前提とした死生観です。
──「死後再会」願望や世界観には必ずしも共通した要素だけではなく、時代によっての変遷もあるとも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか。 共通するものと同時に、それを基軸にして変わるものも見ていく必要があります。江戸時代の近松浄瑠璃『心中天の網島』では、死後再会願望が浄土志向から人間志向に変化します。
ここで終るのではなく、実はもう一つあります。それは今日の在宅ホスピスケアなのです。そこでは、「お迎え現象」が話題になっている。有縁の死者がこちらへ来た、というお迎え現象。お迎えとは、死者によって行く先がはっきりわかっているところに導かれるということです。お迎え体験のある方の最後のありさまは9割以上が穏やかとも言われます。少し大胆なことを言えば、これは死後再会願望のバリエーションを表すものとも言えるのではないでしょうか。 ここまでも視野に入れて死後再会願望というものを一貫したものとしてとらえたい。そうすると、ちょうど千年にわたる。時代時代で切ってしまうのではない。こういったことは、教学理念と抵触するからということで、なるべく伏せてしまうということが行われてきました。死後再会の場が問題。場が変遷するのだけど、その変遷をむしろポジティブにとらえる。死後再会の場を浄土に限定して、他を捨てるのではない。浄土以外にもあるというのをポジティブにとらえる必要があります。 ──最後に、中世の世界観やあるいは死生観を学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。 現代に見失ったもののほとんどそのエッセンスが、中世にはあります。いったんそこに立ち返る。近代文化が振り捨てて顧みなくなったものの一つが、死とか死後とかの問題ではないでしょうか。それをいったん、取り戻してみる。中世から現代を見る。冥界から顕界を見る。死の側から生の輝きを見るとき、今日、只今のわれわれの生き方が相対されるのではないでしょうか。
(文責:親鸞仏教センター) 1 | 2 |
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