親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 研究活動報告 > 『西方指南抄』研究会
研究活動報告
『西方指南抄』研究会
 親鸞筆による『西方指南抄』は、法然(1133~1212)の遺文を集めるものであるが、その第一番目にして最も長い遺文が『法然聖人御説法事』(以下、『御説法事』)である。この『御説法事』についてはその形態に関して解明すべき問題がある。これは思想とも直接関わる問題も含んでおり、『御説法事』の形態について本研究会を通して得られた知見を報告したい。

『法然聖人御説法事』の形態をめぐる諸問題

 親鸞仏教センター研究員   中村   玲太
1 「真字(まな)」と「仮字(かな)」
 『西方指南抄』所収の『御説法事』の異本として最重要なものが、望西楼了恵(1243~1330?)編纂(さん)『漢語灯録』所収の『逆修説法』である。この古本『漢語灯録』の奥書に『逆修説法』(『御説法事』)の諸本について、「ただし多本を集むるに、あるいは真字有り、あるいは仮字有り。未(いま)だ何れか正ということを知らず」(『昭和新修 法然上人全集』〔以下、昭法全〕、273頁)として、「真字」(=漢文体)、「仮字」(=和文体)の二系統あることを伝えている。『西方指南抄』は「仮字」、『漢語灯録』は「真字」のものを収める。『御説法事』が和文体であることについて、古本『漢語灯録』と語句の用法に大きな差があることから「単に漢文を述べ書にしたものではないようである」(浅野教信『親鸞と浄土教義の研究』〔永田文昌堂、1998〕、132頁)とする見解もあるが、おそらく原漢文を和文に改めたものこそ『御説法事』であると考える。以下に、それが知られる一例を挙げたい。
 『御説法事』には念仏往生が諸行往生にすぐれる理由を六つの面から説く箇所がある。そこで以下のようにあることが注視される。

二には光明摂取なり。[中略]
三には弥陀みづからのたまはく、これはこれ跋陀和(ばちだわ)菩薩、極楽世界にまうでて、いづれの行を修してか、このくにに往生し候べきと阿 弥陀仏にとひたてまつりしかば、仏(ほとけ)こたへてのたまはく……。 (『定本 親鸞聖人全集』〔以下、定親全〕五、30~31頁)
  この箇所は、①因位本願、②光明摂取、③弥陀自言、④釈迦付属、⑤諸仏証誠、⑥法滅往生、として、数字+四字の熟語、によって念仏往生の功徳を整理して主張する文脈である。『御説法事』では、「……のたまわく」として、後ろの文に直接つながるような形となっているが、直前の「二には光明摂取なり」と同様、「弥陀自言」で一度切るべきであって、弥陀が自ら述べた内容がその直後に来る、という構造ではない。その意味で、『昭法全』は、「三者弥陀自言、此是」として「此是」の前に読点を打っているが、ここは句点が適切であろう。なお『昭法全』は、直前の「二」は、「二者光明摂取。此是」と句点にしている。
 いずれにせよ、「弥陀みづからのたまはく」では文脈的に極めて不自然である。この不自然さの原因は、先行する「弥陀自言」という一つの熟語的な四字を無理に訓読した結果なのではないだろうか。これは一例ではあるが、『御説法事』は、『逆修説法』とは違う系統の「真字」本を「仮字」に改めた可能性が十分に考えられよう。
 「仮字」に改めたのであれば、改めた意義の考究が次の課題として見えてくる。これについては改めた主体の問題も含めて、今後の研究課題である。
2  親鸞と「乃至(ないし)」
 『御説法事』には多くの「乃至」、つまり省略がある。この省略について、「転写の際に親鸞独自の主観によってなされた割愛であったと解すべきと思うがいかがであろうか」(中野正明『法然遺文の基礎的研究』〔法藏館、1994〕、110頁)と指摘されるが、筆者も『御説法事』の「乃至」は親鸞によるものだと考える。ここでは「乃至」されなかった箇所を通して、親鸞と「乃至」の問題を考えてみたい。
 『御説法事』には以下のように「乃至」が登場する箇所がある。

いまこの『観無量寿経』に二のこころあり。はじめには定散二善を修して往生することをあかし、つぎには名号を称して往生することをあかす。 乃至 『清浄覚経』の信・不信の因縁の文をひけり。この文のこころは、浄土の法門をとくをききて、信向(しんこう)してみのけいよだつものは、過去にもこの法門をききて、いまかさねてきく人なり。いま信ずるがゆへに、決定(けつじょう)して浄土に往生すべし。
(定親全五、25頁。※「乃至」は原割註)
 『逆修説法』によれば、法然は「定散二善」の往生について『観無量寿経』に説かれる定善、散善について一つずつ説明している。対して、『御説法事』ではその「定散二善」が説かれる大部分が「乃至」されている。しかし、定善中では上述の『清浄覚経』に関する文のみは省略されていない。『清浄覚経』の登場は唐突にも思えるものであり、あえてこの箇所を残そうとする強い想いが認められよう。これは、あくまで往生の問題は「信」が中心的課題であることを示さんがためであり、ゆえに『清浄覚経』の引文は「乃至」せず、この箇所に明示したのだと推測される。
 また、この後には、散善も全般的に省略されるのであるが、伝最澄撰の『末法灯明記』の引用だけは省略されていない。この『末法灯明記』は、『教行信証』化身土巻・本巻にも長大な引用がある(詳細は、後に論文化を予定)。
 こうした「信」への課題と『末法灯明記』への注目から見て、「乃至」の主体をあえて親鸞以外に想定することは難しいと考える。そこで引き続き本研究会を通して、この「乃至」からも親鸞が『西方指南抄』に込めた想いを読み解いていきたい。
Backnember ページトップへ
公開講座 親鸞思想の解明 現代と親鸞の研究英訳『教行信証』研究会
清沢満之研究会 「『教行信証』と善導」研究会会 「三宝としてのサンガ論」研究会」研究会
聖典の試訳『尊号真像銘文』研究会近現代『教行信証』研究検証プロジェクト
親鸞仏教センター研究交流サロン インタビュー
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス