日本仏教における「慈悲殺生」の許容

大谷 由香 OTANI Yuka
龍谷大学文学部特任准教授
― 目の前にまさにこれから大量殺人を犯そうとする者がいる。彼を殺せば多くの命が助かるだろう。しかし多くの命のために彼を殺すことは許されるのか ―
釈尊が涅槃に入られてから500年ほど経った頃、釈尊が前世になさっていたような慈悲にもとづく実践を通じて、釈尊が到達したのと同じさとりを得ようというムーブメントが起こったと伝わる。いわゆる大乗仏教の興起である。
前世の釈尊は「菩薩」と呼ばれていたから、大乗仏教の担い手にとって、菩薩こそ理想的な修行者像であった。菩薩として生きるためにはどうあるべきなのか、当時作られた仏典のいくつかには、その指針となる「菩薩戒」が示される。
玄奘(602―664)訳『瑜伽師地論』(以下『瑜伽論』と略)菩薩地には、いわゆる三聚浄戒が説かれる。菩薩たるもの、出家した比丘が教団内規則として護持する律蔵に加えて、あらゆる善をなし、衆生を救済しなくてはならない。
さらに菩薩地には、菩薩ならではの学処として、四他勝処法とその他四十三条が別途掲載されている。これらは大乗仏教独特の観点から説かれる戒で、菩薩はこれらの戒も重ねて護持する必要があるとして提示されたものである。
四十三条のうち第九にあたる性罪一向不共戒は、いわゆる「慈悲殺生」を説く点で注目を集める。
「もしも菩薩たちが清浄な戒律に安住し、善巧方便をもって、利他のために、それ自体が罪悪である行為(性罪:具体的には殺人など)をいくつかなしたとしても、このことによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、かえって多くの功徳を生む。具体的には、菩薩は、強盗が財を貪らんがために多くの者を殺そうとしていたり、あるいは社会的に有益な人物(大徳)である声聞や独覚や菩薩に危害を加えようとしていたり、あるいは無間地獄に堕ちるような罪を多く造ろうとしているのを見たならば、このように思うのである。「私は、彼の悪衆生の命を断って地獄に堕ちよう。そのように[彼を]殺さなくては、[彼の]無間地獄に堕ちる業が成立し、[彼は]大苦を受けるだろう。私は彼を殺して地獄に堕ち、[彼が]無間の苦しみを受けないようにしよう」と。(中略)憐愍の心でもって、彼の命を断じたならば、これによって菩薩戒に違犯したことにはならないし、多くの功徳を生むのである」(大正30・517中)
このように菩薩は罪を犯す悪人の命を断って、悪人が悪をなすのを防ぎ、多くの人の命が救われるのを救わねばならぬ。冒頭に示した、いわゆる一殺多生の理論は、『瑜伽論』において規定された事例であった。
しかしこの『瑜伽論』に説かれる慈悲殺生の主張が、東アジアにおける菩薩戒における主流であったかと言えば、そうではない。貞観22年(648)に『瑜伽論』が訳出される以前から、中国において菩薩戒を説く経典として広く知られていた『梵網経』は、十重四十八軽戒の筆頭に殺戒を出し、以下のように定めている。
「仏は仰った、「仏子よ、自ら殺し、人に教えて殺させ、方便して殺すことを讃歎し、[殺を]なすのを見て随喜し、乃至、呪い殺したならば、殺の因・殺の縁・殺の法・殺の業が存在する。乃至、一切の命ある者は、ことさらに殺してはならない。菩薩はまさに常住の慈悲心・孝順心を起こし、方便して衆生を救護しなさい。そうある[べきな]のに、自ら心をほしいままにし、意を快くして殺生したならば、これは菩薩の波羅夷罪である」と」(大正24・1004中)
『梵網経』には『瑜伽論』菩薩地に説くような、慈悲殺生を許諾する明確な文言はない。一般的には仏教徒は「不殺生」を貫くべきであり、菩薩であるならば、その対象は人のみに限らず「一切の命ある者」でなければならない。『梵網経』にはそう説かれているのである。