親鸞仏教センター

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The Center for Shin Buddhist Studies

― 「現代に生きる人々」と対話するために ―

『アンジャリ』WEB版(2021年5月15日更新号) 目次

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亀裂のなかで生きること
亀裂のなかで生きること 神戸大学人文学研究科講師 齋藤 公太 (SAITO Kota)  新型コロナウイルスの存在が国際ニュースの一角を占めるようになったのは、2019年の末頃だったろうか。それは当初遠い場所の出来事のように聞こえていたが、日本でも感染が広がり、人々の生活が一変するまで、さして長い時間はかからなかった。今や外出時にマスクをつけ、念入りに手指を消毒する生活にはすっかり慣れた。しかし、何か世界の位相がズレてしまったような居心地の悪さは、底流のように続いている。  新型コロナウイルスとは一体何なのか。私たちはなぜこのウイルスに遭遇し、そしてどこへ向かっているのか。そこには何も意味がないのか。すべてが不明瞭なまま、とにかく日々を乗り越えるしかない。そんな感覚を抱いている人は、決して少なくないだろう。そしてこのような感覚は、10年前の東日本大震災の時にもあったことを思い出す。  今回のパンデミックに限らず、自然災害や大きな事故は、普段私たちが世界を認識するために依拠している物語や象徴体系に亀裂を生じさせる。そして、...
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呼びかけられる
呼びかけられる 哲学研究者 永井 玲衣 (NAGAI Rei)  遠くから、おーいと呼びかけられることが好きだった。  おーい、おーい、と声がする。風が顔を吹き付けていて、少し肌寒いと感じるあの日のことだ。西日の傾きがゆっくりと一日が終わることを示していて、放課後の気だるい空気が漂っている。おーい、おーい、とまだ声がする。周りにひとはいなくて、わたしは平坦なゴム製のグラウンドをゆっくり踏みしめて西校舎に向かっている。おーい、おーい。だんだんとその声が、わたしの聞き慣れた声であることが分かってくる。おーい、永井、おーい。わたしの名前が呼ばれる。わたしは振り返って、声のする方を見上げる。友だちが、校舎の3階からわたしに手を振っている。おーい、おーい。  記憶はそこで曖昧になっている。誰かに探されていたのか、その子がわたしに用があったのかは忘れてしまった。にもかかわらず、それはひどく嬉しかった記憶としてわたしの奥底に潜んでいる。  誰かがわたしを呼ぶ声。聞こえるか聞こえないかわからないままに、それでもなお、何度も何度も呼びかけるあの声。おーい、おーーーい、というのん気で、切実な呼びかけ。 *  哲学対話という奇妙な活動をしている。ある問いについて、ひとびとと考え、聞き合い、対話する。ここで行われるのは「会話」でも「議論」でもない。バラバラの人々と集まり、物事をゆっくりと深めていく時間である。  ひとびとと共に考える問いは「人間に価値はあるのか」などいかにも哲学的というものもあれば「人間関係はなぜつらいのか」など日常的な悩みのもの、「友だちの人生を生きられないのはなぜ」など、考えてみればふしぎだと思えるものなど、様々である。  わたしは自治体や学校、美術館や企業などで哲学対話をすることが多いが、ここ数年お寺でも対話を行ってもいる。ちなみに初回は「墓は必要か」という問いで、お坊さんやそのお寺の檀家さん、通りすがりの観光客、近所の人など、色々なひとが集まった。  哲学対話は真理探究の場だが、急いでわかりやすい「正解」を出したりはしない。勝ち負けを決めたり、「いいこと」を言ったひとがえらいわけでもない。ひとびとは問いの下で平等であり、そこに優劣や権力が持ち込まれないように気が払われる。それは、あくまでこの哲学探究が「対話」であることにとどまろうと努力する試みでもある。  哲学対話は「哲学」と「対話」の単なる合成語ではない。哲学的であることは、対話的であることだ。探求をするためには、その場が対話的でないと、哲学は育たない。対話に参加するあなたを、わたしたちは尊重する。言葉につまり、言いよどみ、時に沈黙するその時間も、哲学対話は丁寧に扱う。息遣い、誰かの汗のにおい、遠くで聞こえる工事の音、たまにごつんと当たる隣のひとの肘、すべてがその「場」に存在し、対話に参加していることを感じながら、わたしたちは哲学をする。  新型コロナウイルスの影響で、学校や喫茶店、お寺など、色々な場所でひらかれていた哲学対話は次々と中止になった。輪になって座ることの多い対話は、顔をつきあわせ、互いの身体の近さを感じながら話し合うことがほとんどなので、いちばんの感染症対策は、その場をひらかないことである。  こうして、多くの会議や研究会と同じように、哲学対話はオンラインで行われることが主流となった。  オンラインで対話をすることについては、否定的な意見もあるし、同時に可能性を見出す声も聞こえてくる。おそらくその両方なのだろう。身体性を伴わない対話はどこか不安でつながりが希薄に感じられるが、すべてを等し並みにしてくれる画面は、圧迫感や緊張感を軽減してもくれる。休み時間での隣同士での簡単な会話、帰り道を共にしながら、考えそびれたことを語るあの時間はなくなってしまったが、普段参加しづらい状況にあるひとが参加しやすくなったり、より自由な形式での参加が可能になりもした。  だから、オンラインでの対話は、対面の代替物というよりは、まったく別のものと考えたほうがいいのかもしれない。オンラインによって、対面と比較して何かができなくなってしまったとか、対面が可能になるまでのその場しのぎとかではなくて、また別の新しいコミュニケーションのひとつなのだ。  わたしも最初は、どうやって対面の対話にオンラインの対話を近づけられるかを考えていたように思う。かつて見知っていた地点からしか、変容したあり方を考えることができなかった。  まったく目新しいものとして、オンラインでの対話を見つめ直してみるとどうだろう。それでもやっぱり、これまでのやり方と比べてしまうけど、なぜだかふと頭に浮かんだのは、遠くにいる友だちがわたしに呼びかける声だった。 *  もしもーし、聞こえますか、と誰かがわたしに呼びかけている。はーい、とわたしが応えるが、相手には聞こえていない。オンラインでのある哲学対話の時のことだ。他のひとたちが、聞こえてますよ、こっちはどうですかと呼びかける。あれ、聞こえていないのかな、という独り言がわたしたちの耳に届く。ちがう、あなたの声は聞こえているけど、わたしたちの声があなたに届かないのだ、とわたしたちは悟って、懸命に声を出す。もしもし!聞こえていますよ!おーい、おーい、聞こえています!わたしたちは相手に聞こえないことを分かっていながら、なぜだか呼びかけている。  わたしはあの時間が好きだ。おーい、おーいと友だちがわたしの名前を呼んでくれたうれしさをなぜだか思い出す。呼びかけるということだけに集中しているあの瞬間。すぐそばにいないからこそ、声を張り上げて、その人の名前を呼ぶあの時間。  すぐ近くにいれば、わたしはあなたの肩をそっと叩くことができる。近くに座るだけで、あなたは振り向いてくれる。  だが、わたしたちはとおくとおく離れている。電波を通して、奇妙な仕方で集っている。だからこそ、わたしたちは言葉であなたにふれなければならない。祈るように、あなたに呼びかける。  あっ聞こえるようになりました、とあなたが画面の奥で嬉しそうに笑っている。それをわたしたちはよかったねえ、と祝福している。声が届く、ということによろこぶことができる。こっちも聞こえますよ、ああよかった、聞こえますか?聞こえますよ、聞こえますね、とわたしたちは何度も確かめる。  このとき、「声が届く」という普段見慣れたことがふしぎなことに様変わりする。画面に映るたくさんの人たちの背後には、それぞれの部屋がある。揺れる洗濯物、棚に押し込まれたぬいぐるみ、掃除機をかけるお母さん、横切る猫、少しくすんだ壁紙、走り回る子どもたち。のっぺりとした画面の奥に、パソコンを切ったその後に、ひとびとの生活と、それぞれのはてしなく続く人生がある。  わたしたちは本当にばらばらで、見知らぬ他者同士だ。あなたがこれまで何をして、何を食べて、何にかなしみ笑ってきたのかをわたしは知らない。そして今後、あなたが何に喜び、何を失って、どんな人になるのかも知ることはない。  だがあの瞬間だけは、おーい、おーいと互いに呼びかける。あなたの声が聞きたくて、あなたと話したくて、わたしたちは互いに一生懸命に声を届けようとする。一度つながったとしても、通信の関係で、突如としてあなたがいなくなってしまうこともある。不安定になり、一瞬だけ聞き漏らしてしまうこともある。わたしたちの対話の場は、非常に不安定で、奇妙で、もろいのだ。    本当はオンラインの場でなくたって同じだ。他者と共に考える場は、対話だけでなく議論でも、会話であっても、不安定で奇妙でもろい。しかしオンラインは、そのことがより意識される。そして、普段の場のむずかしさが再び捉え返される契機でもある。  いや、もっとシンプルに考えてもいい。哲学対話は、ひとびとと考えを問い合いながら考えを深めていく。そこにあるのは、独白的な語りではなく、あなたと共に考える共同的な語りだ。あなたが見知らぬ他者であっても、あなたが必要で、あなたと共に考えたいと思うし、あなたにも必要とされたいと思う。だからやっぱり、あなたに呼びかけられることはうれしい。  仕事の帰り道、小さな子どもが、遠くの母親におーい、おーーいと声を出しているのを見かけた。母親は少し離れた駅ビルの二階のガラス窓から、穏やかに手を振っている。子どもは隣にいる父親と手をつなぎながら、おーい、おーーいと嬉しそうに飛び跳ねている。...
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「うったう」――共感するという希望
「うったう」――共感するという希望 シンガーソングライター 寺尾 紗穂 (TERAO Saho)  アーティストとは何だろうとよく考える。私の身の回りの音楽のアーティストを見回すと、よく聞き、よく作り、よく演奏する人々という印象だ。ことに男性アーティストの多くが、熱心なリスナーであり、そこから自らの音楽にエッセンスを取り込んで作っていくことに長けているように感じる。私はと言えば、日常的に音楽を聴くことが出来ない。音楽を聴くときは誰かから「これがいいよ」と音源を渡されたり、知り合いのミュージシャンから新作を手渡された時などだ。歌もののアルバムであれば、歌詞カードを見ながら集中して過ごす一時間弱であって、それ以外に音楽を聴くということから遠ざかっている。加えて音楽を作る時間というのは日常的にない。私にとっての作曲は自転車に乗っているとき、あるいはお風呂に入っている時、あるいは駅で電車を待っている時ふいに思いつくものであって、その場でコードや歌詞を書きとめて、後でまとめることだ。例外的に人の詩に曲をつけたり、珍しく詩だけが先にできあがっている時は、30分くらいピアノの前に座って作るけれど、それは稀にだ。そんな具合だから、意識的に聞いたり作ったりがほとんどない自分はアーティストと名のっていいのかどうか、今でも自信がない。ピアノ弾き語りという形で活動はしているけれど、似非アーティストと言われても、「はい、そうかもしれません」と答えるしかない。  それでも、私は死ぬまで日本のあちこちで歌っている、という勝手な確信がある。それは私がライブをさせてもらう中で感じていることだ。ライブ後に地方で丁寧につづられた手紙をもらう事も多い。ある人は、最近離婚したこと、転職すること、うつ病に苦しんでいること、息子が大学生になること、離婚調停が長引いていることなど、それぞれの近況を綴ってくれる。そしてあなたのこの歌がこんなときに支えになった、といったことを教えてくれる。表現者にとってこれほどありがたいこともないのだ。自分が悩みながら生きて、その過程で生まれた作品が、いつのまにか誰かの心に届いているという事実に、どれほどこちらが励まされることか。  数年前、四日市市にある絵本やさんの二階のホールでライブをしたことがあった。ライブ後に絵本やさんの御主人に言われた言葉がある。 「寺尾さんはミュージシャンじゃないな。ミュージシャンてのは、お客さんを音楽世界に引き込むために、大抵前奏をつけるんだよ。あなたのは、ほとんど前奏なしで歌からぱっと始まる。ミュージシャンじゃなくてメッセンジャーだね」  なるほど、と思った。ではメッセンジャーとは何だろう。シンプルに考えれば、言葉を伝える人だ。そうかもしれない。音楽家によっては、言葉の響きは気にしても、意味をあまり重視しないという人もいる。坂本龍一さんなども、歌詞を聴かないタイプだと聞いたことがある。そういう意味では私のファンの人たちは、とてもよく言葉を聴いてくれる人たちという印象もある。歌というものを考えるとき、メロディが素敵な曲というのは色々ある。けれどその中で時代を経て残っていく歌というのは、必ず言葉が優れている。伝えたい言葉と思いがあって歌になる。それこそが歌が歌として存在する意味ではないかという気がする。  折口信夫によれば、「歌う」は「訴う」と同根の言葉であるという。訴訟と言う意味よりも、哀願や愁訴といったニュアンスだ。たしかに、そうではないだろうか。人類がはっきりとした言葉をもたないころ、つまり限りなく動物に近かったころ、おそらく悲しみや不満を表すとき、犬のようなクーンという音の高低をつけて表現していただろう。そういう原始的なところから、歌は発生している気がする。  古代、語り部といわれる、古い伝承や寿詞、呪言や呪力を有した職業集団の一つに猿女の君がある。古事記のもととなった語りを誦していたと言われる稗田阿礼も猿女の君の支族、稗田氏だ。折口によれば、猿女の君は主として鎮魂の呪言を説いたという。古今悲しみの多くは死別によりもたらされる。呪言が鎮魂のために生まれ、悲しみを「訴え」たりなだめたりして、表現してきたというのは自然なことに思える。  20代のころから別れの歌を多く歌ってきた。死は、避けるべきものではなく、私にとってはどこか身近なことだった。そして誰かを失う悲しみもまた、小さなころから強く感じてきた方だと思う。祖父母と別れる時、もう会えなくなるのではないかと泣きそうになることがよくあった。死を扱う歌も多い。「あなたの歌はどこか鎮魂のようね」と言われることもある。  こうして振り返ると、「メッセンジャー」と言われた意味がだんだん腑に落ちる。私の歌は「訴え」であるのかもしれない。元来無口なほうである。発した先から消えていってしまうような発話の言語によって人と討論することも苦手だ。それゆえ「歌う」ことが私の「訴う」術なのだ。生きれば足跡のように歌が残る。その歌を辿って心寄せてくれる人がいる。私が感じたはずのことをあなたも感じている。誰もが立場が異なり、世の中、分かりあう事の難しさを感じることも多い中で、「訴え」が静かに誰かと共鳴しうることは、今も、これからも私の中の小さな希望である。 (てらお さほ・シンガーソングライター)著書に『彗星の孤独』(スタンドブックス)など。 他の著者の論考を読む...
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「隔離」の残響
「隔離」の残響 現代美術家・ホーメイ歌手 山川 冬樹 (YAMAKAWA Fuyuki)  昨年から「隔離」という言葉を頻繁に耳にするようになった。  この言葉を聞いて、わたしがどうしても想起せざるを得ないのは、ハンセン病をめぐる「絶対隔離」のことである。ここ数年、ハンセン病療養所に通い、回復者たちと密に関わりながらアートプロジェクトに従事してきた身からすると、この「隔離」という言葉を聞くたびに、どこか刃物で胸を突き刺されるような痛みを感じずにはいられない。さすがに最近は少し聞き慣れてはきたものの、この「隔離」という言葉が急にマスメディアで取り沙汰されはじめた頃は、思わず熱を出して寝込んでしまうほどだった。  それはちょっと過敏な反応なのでは、と思う人もいるだろう。しかし果たしてそうだろうか?...
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日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について
日常を永遠と。――浄土に呼び起こされる現実について 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「もっと乱暴に、世の中の宙ぶらりんな物語を終わらせるべく襤褸の少女を派遣するというのはどうだろう。襤褸を着た少女がよたよたと歩いてきて空を見上げ「あ、流れ星」と呟くぐらいでもいいとも思う。世のありとあらゆる物語の中を渡り歩いてラストシーンを飾るというのは、大変に幸せな職業かもしれない」(高山羽根子「「了」という名の襤褸の少女」、『うどん キツネつきの』〔創元SF文庫〕所収)    下に引っ張りすぎたTwitterが更新を渋っている。日常のネタ切れ。最初からそうしていればよいのだが、ようやく電子書籍に目を落とす。  高山羽根子を読む。高山作品としては「母のいる島」「ビースト・ストランディング」が好みではある。奇想的な物語にあって細部が際立つリアルな描写、そこに抜群のユーモアが散りばめられている。この辺が読みやすい物語ではあるが、「オブジェクタム」「居た場所」のような、いびつな日常をウロウロさせ、消化不良が続き、なぜかいつまでも自分の中で生き続ける物語もある。これもまた魅力。    もはや無意識的に「日常」と書いているが、過去に書いた自分の文章を読んでみても、「日常」や「生活」という言葉に高確率で出くわす。着実に「日常」が増えている。地に足つけた日常生活の重要性を、自分に言い聞かせるように書くのは、ダラダラと延々と続く日常の退屈さ、耐えられなさとの葛藤のようにも思う。  高山は冒頭のエッセイ中に、物語を終わらせる行為の難しさを語っている。「とくに現実に近い物語であればあるほど、終わらせ方に困る。そもそも現実は終わらないものだから、物語の上で終わらせる時には違和感を法螺で注意深く塗り潰す作業のような行為が必要だと信じ、そのために手に余らせてしまう」と。現実は歯切れが悪く、どこまでもそうでありながら続く。   Δ    日常と浄土。グダグダと延々と考えている問題だ。日常の延長が浄土なのだろうか。煩悩具足の生活を引き延ばした先が浄土ではないだろう。しかも、煩悩を本質とした生活を、自力の努力でその本質を変えることができないとすれば、我が身の想像の範疇を超えているとしか言いようがないはずだ。    ここで考えるのは、浄土がこの世、穢土と隔絶しているとして、それをどう思考すべきか。穢土と浄土を並べて相対的に比較するのは、穢土も浄土も俯瞰して見る超越的視点である。果たしてこれは凡夫の範疇で成立する視点だろうか。  しないのだと思う。この世界の否定形としてしか我々に現れ得ないのが浄土なのだと思うが、それはこの世界を超えた外側――にこちら側が立つ視点を常に奪う働きである。「今、ここでしかない」と有限性を自覚させる、外へと向かう視線を内側へとひっくり返す働きが「他力」と呼ばれる弥陀の本願力なのだと考えたい。    しかし浄土教は、この世界はこの世界のままでよい、そのまま肯定されるのだ、という思想とは一線を画すものだ。それは外側から世界や〈いのち〉を丸ごと肯定する視点を剥奪するという形で、我々に現前し続けるのが浄土の働きなのだと思う。  法然の直弟、西山義祖・證空は『散善義自筆鈔』巻一で、「具造十悪五逆、トライハ、生々世々ノ中ニ六道ニ輪廻シテ、造ラザル罪ナシ。愚痴迷惑ノ故ニ、スベテ是ヲ知ラズ。今仏願ノ不思議ナル事ヲ知ル時、無始已来ノ諸悪悉ク是ヲ悟ル事ヲ釈シ顕スナリ」(西叢二、187頁)と言う。無限の救済によって知らされる我が身は、あくまで「諸悪」、罪業を造り続けている身なのだ。それ以上ではない。ひとを傷つけ、自分を傷つけ、苦しみ呻く世界。ここにある自他の呻きの声に対して、何か超越的な視点で世界を肯定し、糊塗してしまうのではなく、悪や苦しみを「それをそれとして見る」のだ。しかし、それと同時に、人生を丸ごと否定する視点からも程遠い、いや断絶している。    無限の救済に触れる我々の視点は、この世界や〈いのち〉の全肯定でも全否定でもなく、そうした視点に立ち得ない有限なる在り方の自覚ではないだろうか。我々にできるのはせめて部分肯定だけなのだと。なぜ部分肯定ではダメなのか。本来、こう問われるべきものなのかもしれない。  いずれにせよ、無限の救済に触れる我々の現実は単なる現実ではない、外側のなさと同居した現実であり、それは無限の浄土に裏打ちされた現実なのである。   Δ    5才のよつばの日常を描く漫画、あずまきよひこ『よつばと!』(電撃コミックス)15巻を読み直しながら、『親鸞仏教センター通信』第77号(2021年6月発行)の「あとがき」の校正をしている。自分で執筆したものだが、そこには相も変わらず「日常」と書いている。「帰るべき日常などというものは本来ないのかもしれない。日常は今までに想いを馳せ、新しさに驚嘆しながらちょっとずつ作られていていく――作っていかなければならないのだろう」と。  全肯定/全否定のケジメをつけられない歯切れの悪い私の日常は、常に点検が必要だし、これはまあまあいい経験をしたと喜び、拭えぬ退屈さからSNSに逃避しては現実に巻き戻される。    本来的に帰るべき、という形容がし難いのが日常なら、それを超えた浄土こそ帰るべき存在の本来的世界だとも言えようか。帰るべき世界からの呼び声に耳を傾けて、ふと現実に巻き戻されるだけではなく、そもそも我々にとっての現実とは何かを延々と考えていくべきなのだろう。   ※本稿は、第2回「現代と親鸞」公開シンポジウム(テーマ:生まれることを肯定/否定できるのか?――反出生主義をめぐる問い)の問題提起を受けるものである。報告記事参照のこと。 (なかむら りょうた・親鸞仏教センター嘱託研究員) 他の著者の論考を読む...
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テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する
テクストとしての宗教を読むということ――「語られた」像の思想史を描出する 親鸞仏教センター嘱託研究員 飯島 孝良 (IIJIMA Takayoshi)  いささか面映ゆいことではあるが、ごく私的な経験談から始めたい。10代の終わり、学問的な気風に接することなく過ごしてきた私にとって、恩師が示して下さった“聖書学”という分野は、ひとつのカルチャーショックであった。聖書学は、聖書にちりばめられた「奇蹟(物語)」や「超自然」を合理主義の下に排し、人間イエスの精神とその時代を出来る限り客観的に描出することに努める営為である。すなわち、イエス自身の言行と思われたものも、福音書の記述と編集の段階で弟子や原始教団の意図や認識によって創出されたものであって、史実そのもののイエスを語るというよりも、記者や編集者それぞれの問題意識を反映した〈像〉と看做すのである。このように「史的イエス」探究を軸とした聖書学は20世紀に隆盛を極め、古代史学や社会心理学や言語学(言語行為論など)を総合的に踏まえてイエスとその時代を分析する「文学社会学」的聖書学へと結実していった。  視点を仏教に移すと、イエスのみならず仏教者もまた、史的存在であるとともに「語られる」存在たり得る。その具体例として理解しやすいのは、所謂「宗祖」と称される存在である。法然にせよ日蓮にせよ、「救済者」「超越者」として伝承されることもあれば、とくに近現代では苦悩する「求道者」「人間」として語ることが増加する面もみられる。ただ、こうした多層的な「語り」が「宗祖」に関するものと看做される限りにおいて、その「語り」は宗門内部に留まるものになる。その一方、仏教者の中には、その魅力やインパクトが大きい故に、内部だけではなく外部にも波及し得る存在もある。例えば親鸞は、宗門の内部にも外部にも大きな影響を示したのは論をまたない。あるいは一休などは、臨済宗大徳寺派の「宗祖」というわけではなかったが――いや、それ故に――宗門内部よりもむしろ外部で先んじて多く語られ、一般において逸話が広く伝承して「一休ばなし」が形成されたとも考え得る。...
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忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて
忘却を経てなお――森﨑東の言葉に寄せて 親鸞仏教センター研究員 東  真行 (AZUMA Shingyo)  言葉はあくまで伝えたいことの「入れ物」なのだと、ある音楽家はいう。寺尾紗穂氏が述べるように「歌」と「訴え」が相通じているとして、こんな言い換えは可能だろうか。訴えの込められた入れ物が歌だと。  切実な思いだからこそ、音に乗せるのか。親鸞もたくさんの和讃を遺している。それらは黙読される文字である以上に、読誦される言葉として今なお息づいている。読む者のみならず、勤行の会座を共にする聴聞者の心身をも文字通り震わせてきた。  昨年の7月になくなった映画監督、森崎東のことをふと連想する。卓越した感性で引用される数多の「歌」と、観念的とも評される直截的な「訴え」とが、森崎作品では同居している。  藤井仁子編『森崎東党宣言』(インスクリプト、2013年)には使用楽曲が約20頁にわたってリスト化されているほどで、本人のエッセイ集『頭は一つずつ配給されている』(パピルスあい、2004年)でもよく「歌」、すなわち往時の流行歌から軍歌、民謡、都々逸、漢詩、革命歌から校歌に至るまでが言及される。森崎は自身の人生を「片端から憶えては忘れてきた歌の総和である」(『頭は一つずつ配給されている』、374頁)と述懐するが、ここに「忘却」という晩年の課題が示唆されてもいるのだろう。  その「訴え」については、敗戦の翌日に自殺した兄、湊に反発するゆえの「左傾傾向」(『森崎東党宣言』、186頁)を告白する通り、天皇制や原子力発電をたびたび烈しく批判した。  また、森崎は「身」にまなざしを注いだ作家でもあった。『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』(1979年)や『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)では深刻な場面であればこそ、殊更に主人公たちの生身の存在感を強調している。渥美清演じる刑事の水虫、岩松了演じる漫画家の禿頭に執拗なまでに焦点を当てるという演出がそれであり、私などは何というか呆然とするばかりだ。   「精神」と聞いた途端に何やら心に重い疲れを感じる戦中派にとって、霊にしろ、心にしろ、魂にしろ、いわゆる精神論そのものが耐えがたくカッタルイのである。 (『頭は一つずつ配給されている』、383頁)    鈴木大拙のいう「霊性」が果たして「いわゆる精神論」であるかはともかく、大拙の表現に首肯し得なかったと記す森崎である。だからといって身体にのみこだわったわけではない。「日本精神」の鍛錬と称して毎日数百回もの腕立て伏せを断行した兄とは逆の方向で、つまり何らかの強固なイメージに肉体を追いつかせようとするのではなく、むしろ老いていく身体のように精神を捉えること。この身は老病死に遭遇しつつも、まだ何とか生きて血を通わせている。同様に老いる精神にも、しぶとく生々しい肌ざわりを見出し得るのではないか。そのように「身」をみる森崎にとって、心身は老病死の現場であると同時に根源的な生をまざまざと感じる場でもあったのではないか。  晩年の森崎が「認知症」と向き合っていた様子は、ETV特集『記憶は愛である~森崎東・忘却と闘う映画監督~』(2013年)に詳しい。記憶の総和が人生ならば、その喪失過程は生きながらの死か。森崎は自身にその問いを課すのだ。  遺作となった『ペコロスの母に会いに行く』は、ある老女(演じるは赤木春恵)の「認知症」を物語の主軸に据えるという、みずからの苦悩と真正面から対峙する内容である。物語のクライマックスでは、どんな苦難があろうと、大切な記憶を思い起こす力が人間の「身」には生じるのだと高らかに宣言される。どこまでも深く忘れるということがあったうえで、それでも記憶はよみがえるという出来事が描かれており、ここには自身への応答があるのだろう。森崎は次のようにも述べていた。   私は最近ヤタラに忘れっぽくなった自分を死につつある人とは思いません。忘却は死でなく生の普遍現象であって、人は忘却と同時に回想という記憶の再生によって常に新しい生の体験をする。むしろ長い忘却の時間を経ることで、忘れていた体験の真実の意味を知ることすらある。 (『頭は一つずつ配給されている』、379頁)    この稿を書きながら以前お聞きした、ある問いが思い出される。真宗大谷派の僧、暁烏敏から仏教を聞いた岡本禮子(法名は釋暁禮)という方の訴えである。「自分は暁烏先生に出会って、親鸞聖人の教えを聞いて、念仏さえあればどんな人生であっても生きていけると思ってきた。ところが最近は、あれだけ感動した先生の言葉が思い出せない。ときどき娘の名前もわからなくなる。ひょっとするとお念仏も出なくなるかもしれない。それでも私は救われるのか」と(加来雄之『真宗の死生観』〔大和仏教センター、2018年〕を参照)。どんなに深く教えと出会っておられたのだろう。出会ってさえいない者にとっては忘れるどころではない。  森崎は、忘却の時間に裏打ちされた回想では、もともとの経験にそなわる「真実の意味」があらわになる場合さえあると記していた。不可避の忘却を経てなお、常に新鮮に真実を思い起こし得るとは不可思議である。この力には、いかなる表現がふさわしいのだろう。森崎は、あるイギリスの劇作家の「記憶は愛である」(『頭は一つずつ配給されている』、75頁)という言葉を紹介している。あるいは「憶念はすなわちこれ真実の一心なり」(金子大榮校訂『教行信証』、岩波文庫、176頁)と親鸞が記したとき、どんな実感がその胸中に去来していただろうか。 (あずま しんぎょう・親鸞仏教センター研究員) 他の著者の論考を読む...
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景色がかわるとき
景色がかわるとき 親鸞仏教センター研究員 谷釜 智洋 (TANIGAMA Chihiro)  「人格ある誰かを見失うな」。山川冬樹氏のインタビュー記事の見出しである(『毎日新聞』東京夕刊2020年6月8日)。偶然みつけたこの記事をきっかけに、山川氏が「ハンセン病問題」に向き合った『海峡の歌』というインスタレーションを発表していることを知った。かねてから氏のライブパフォーマンスには常に驚かされ、その世界観に魅了されてきたが、この『海峡の歌』に込められた思いには特に惹きつけられた。  香川県にあるハンセン病療養所、大島青松園からかつて自由を求めて対岸にある庵治町へ泳いで渡ろうとし、その過程で命を落とした人々がいた。このインスタレーションでは、その事実に基づく映像作品も展示されている。([参照]...