浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職
池田 行信
(IKEDA Gyoshin)
──先ほど(※前篇参照)も申しましたように、『正信偈』について、これほどの大部の著作は近年において稀有です。この著作のなかで、現在の先生が思い返されてみて、特に印象的であった箇所、また『正信偈』の核心ではないかと思われる箇所について教えていただけますか。
池田 印象的な箇所といえば、個人的には「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」(『註釈版』207頁、『聖典』207頁)の偈文が好きですね。
また、法霖師は「成等覚証大涅槃」の「大涅槃」を釈して、「往きて反らざるは小涅槃なり、往きて能く返るを大涅槃と名づく。故に知んぬ、入出二門涅槃界中の幻相〔※原文ママ〕なることを」(『註解』128頁)と述べていますが、「大涅槃」という言葉を「現当二益」「往還二回向」で解釈しているのは興味深いです。
「広由本願力回向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華藏世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化」(『註釈版』205頁、『聖典』206頁)の8句については、信、証、二回向、天親の五果門にそれぞれ配当すると考えられます。親鸞聖人の論理的な性格がよく出ているように思います(『註解』329頁)。
■『正信偈』の核心
池田 『正信偈』の核心はどこかということですが、これは『教行信証』の「要義」が『正信偈』であるなら、親鸞聖人ご自身が『尊号真像銘文』で解説している「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」(『註釈版』670頁以下、『聖典』531頁、『註解』110頁以下)になろうかと思います。まさにこの4句が『教行信証』の「行・信・証」を語っています。
また、深励師は『正信偈講義』で「この二句(本願名号正定業 至心信楽願為因)が今偈一部の肝要。又浄土真宗の骨目。安心の要義。この二句に究まる」(『仏教大系 教行信証四』171頁)と述べています。曽我量深先生も「浄土宗のお念仏というものは、いったい、能行か所行かということになると、だいたい能行でないかと思います。それに対して、われらのご開山聖人は、第十七願を開いて、そして、お念仏は所行の法であるということを、明らかにしてくだされたわけであります」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻229頁)と述べています。
──今回のご著書では、東西の本願寺を問わず、近代に至るまで様々な学僧の見解が引用されています。先生はいわゆる「三家七部」(『註解』573頁)の解釈にご著書の軸を据えておられると述べられていますが、特に近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点について、『正信偈』の箇所をお示しいただき、それについてコメントをお願いできますか。
■方法論の展開とそれに伴う現代の批判
池田 まずお断りしておかなければならないのは、『正信念仏偈註解』は、基本的に江戸時代の『正信偈』の訓詁注釈の紹介です。近代以降、従来の宗学の立場や方法論が問われてきました。真宗関係でいえば清沢満之先生の「因果之理法」(岩波書店版『清沢満之全集』第7巻所収)や「貫練会を論ず」(前掲清沢全集所収)があります。さらには村上専精先生の『仏教統一論』(「第一編大綱論」)や前田慧雲先生の「宗学研究に就て同窓会諸君に曰す」(『六条学報』第6号)を挙げることができると思います。
清沢・村上・前田の諸師は何を主張されたのかというと、要約していえば、従来の宗学は、①訓詁注釈一面に傾斜しており、②宗派的一面に偏向している。また、③道理・理屈は充分だが実験が欠如している。だから、西洋学術の実験観察に仏教の理論を加えて実益を得る必要がある。④そのためには、これまでの釈文訓詁的態度で、三経七祖もすべて一宗内の祖師論釈や宗祖腹で解釈するだけでなく、比較研究を試み、特に歴史的研究に着手し、仏教の真髄を発揚すべきである、ということになろうかと思います。
そうした近代の解釈の展開として、たとえば曽我先生の「伝承と己証」という歴史的視点、または「救済と自証」、金子大榮先生の「浄土の観念」という「自覚」「自証」や「観念」「内観」といった実存的視点に依拠した教学理解は、江戸時代の「祖述」と異なった、新たな方法のもとで語られているように思います。
また曽我先生は他力回向について、「この他力回向ということは、両祖(注:法然と親鸞)各自の心霊上の実験でありて論理上の結論でない」(「七祖教系論」『曽我量深選集』第1巻13頁)と述べて、宗教を「論理上」から把握するよりも、「心霊上の実験」として把握する大切さを指摘しています。たとえば「法蔵菩薩は阿頼耶識である」(「如来表現の範疇としての三心観」『曽我量深選集』第5巻所収)と捉えるような理解は、訓詁注釈よりも、内在的な「自覚」「自証」を重視した「内観」という解釈方法への展開があってのものと思います。
曽我先生は「往生は心にあり、成仏は身にあり」(『曽我量深選集』第9巻75頁取意)とも述べていますが、「往生」や「成仏」、そして「心」や「身」という二元論を一元的に「内観」という方法において「自証」しようとしたのではないでしょうか。こうした領解は伝統的な文献研究の立場、訓詁注釈の立場からは受け入れ難いとは思いますが、訓詁注釈自体にとどまることなく、注釈や解釈を「自証」するところに領解がある、という立場への曽我先生なりの展開があったように思います。
しかし、小谷信千代先生は『真宗の往生論』において、清沢満之の信念を継承するとされる真宗教学の流れ、いわゆる大谷派の近代教学は実証的考察を重視せず、文献研究を軽視し、自己の領解のみを重視する傾向を帯びた学びの姿勢から、その言論は大仰な言説、短絡的で未熟な思考、牽強付会の論理となり、結局、実証的考察を拒む神秘的直観の教説として理解される危険性が潜んでいると批判しています。
その意味からすれば、お尋ねの「近代に至って大きく解釈に展開があると考えられる点」については、訓詁注釈的な『正信偈』解釈から、「自己の領解のみを重視する」「実証的考察を拒む神秘的直感の教説」と批判される『正信偈』の解釈を取り上げるべきかもしれません。
──ご著書では、たとえば大谷派でいえば了祥の『正信偈』の製作意図についての見解(濱田耕生『妙音院了祥述「正信念仏偈聞書」の研究』)、または曽我量深の『法蔵菩薩』(『曽我量深選集』第12巻所収)などの見解が参照されています。了祥の見解については現状容認を批判する教学として、現代における意義を探っておられるように見受けられます。曽我については、浄土真宗を広大な仏教史に位置づけるなかで、その思索を手がかりとされているように感じました。了祥、曽我、暁烏敏や安田理深といった教学者について、今回ご著書をまとめられるなかで、どのような点を重んじて文章をお選びになられたのでしょうか。
■教団として現実に向き合うとき
池田 先にも述べましたが、私は現代にあって、さらにいえば「宗門」「教団」にあって、「私」と「歴史」をどう把握するかという問題に関心があります。「私」を単なる「注釈」で解釈するだけでは物足りない。また、「歴史」を単なる「内観」レベルで思想表現するだけでは、持続可能な宗門や教団として現実の課題を担うことはできないと思います。ですから、「社会改良」の思想表現の含みを持った「歴史」に関心があります。そして、近代教学において、この「私」と「歴史」への関心が、どのような教学的営為となって現れているのかに関心があります。その意味において、「個の自覚」や「機の深信」レベルの「私」には、「歴史的視点」が欠落しがちに思います。
とはいえ同時に、曽我先生が「法蔵菩薩」を論じるなかで述べられた、「大乗仏教は釈尊以前の仏教」、「歴史以前の仏教、釈迦以前の仏教」(『曽我量深選集』第12巻135頁、141頁)との押さえや、また『大無量寿経』の「特留此経 止住百歳」(『註釈版』82頁、『聖典』87頁)を「『特留此経、止住百歳』。百歳というのは、一人一人の人間の一生を百歳というたのでありましょう。(中略)それで、弥勒菩薩に付属された。弥勒の世まで、この止住百歳が続いておる」(「正信念仏偈聴記」『曽我量深選集』第9巻263頁)と指摘されたことは重要に思います。
さらに、安田理深先生は、親鸞聖人を七高僧に続く「八高僧」と捉えています。この「八高僧」という把握は、恵然師がすでに親鸞聖人を「伝灯第八相承の高僧」、つまり「八高僧」と捉えていることを想起させるものです(『註解』241頁)。こうした歴史的視点への関心は、「阿弥陀仏を初祖とする」(『註解』242頁)という仏教史観にまで至ると思います。しかし、私には「内観」レベルの「私」と「歴史」には、何か限界があるように思います。それは戦時教学や教団による差別事件などの問題から教えられるような、「社会改良」への視点の欠けた「私」と「歴史」の課題ではないかと思います。
(文責:親鸞仏教センター)
(後編へ続く)
池田 行信(いけだ ぎょうしん)
1953年栃木県に生まれる。1981年、龍谷大学大学院文学研究科博士課程(真宗学)修了。現在、浄土真宗本願寺派総務、慈願寺住職。
著書に法藏館より『近代真宗教団史研究』(共著、信楽峻麿編、1987年)、『真宗教団の思想と行動[増補新版]』(2002年)、『現代社会と浄土真宗[増補新版]』(2010年)、『現代真宗教団論』(2012年)、『浄土真宗本願寺派宗法改定論ノート』(2018年)、『正信念仏偈註解』(2021年)等多数。