今との出会い第198回「一瞬の同時成立」

親鸞仏教センター研究員
藤村 潔
(FUJIMURA Kiyoshi)
日常ふとしたことでイライラすることがある。車の運転で電車の踏み切りにさしかかり、上下線の往来などで5分以上停止している時には、「なぜこんな時に電車の本数が多く通過するのか」と憤りを感じてしまう。ところが、その一方で、今度は自分が駅で電車に乗ろうとする時、遅延などしていると「なぜこんな時に限って電車は来ないのか」と不満をもらしてしまう。よく考えてみると、電車の運行は基本的には常に一定である。ただ異なる点は、私が置かれている場面の条件である。前者は車を運転している時の電車待ち。後者は電車に乗ろうとする時の電車待ちである。どちらも運行に対して不平不満を言う「一時」の自分がある。
仏教では、一瞬の間にあらゆる現象が成立していることを説き明かす。天台教学の中では「同聴異聞」という言葉がある。仏は一音の説法をしているが、聞く者によって聞き(頷き)方が異なるという。言い換えれば、仏は常に同じ声(一音)を発しているが、聴衆は同じ声を聞いているため「平等」である。ところが、衆生がどのように頷いているのか、あるいは理解しているのかに「差別(しゃべつ)」が生じる。だから「不定」(さだまらない)と言われる。つまり、仏の説法には、「平等」と「差別」の両面が同時に成立していると明かすのである。
たとえば、私には3歳の子供がいる。戸籍上、確かに3歳の子であるが、考えてみれば、私も3歳である。なぜなら、「子」が生まれたと同時に「親」も生まれたからである。そのため、私も3歳の親に他ならない。「親子」は同時の成立である。「子」が誕生したことによって、私は「親」という名前を与えられたのだと思っている。よく「子育てが大変だ」と言われるが、これも「親育てが大変だ」と言っているのと同じことである。ある男性が結婚し、子を授かり、「親」として誕生した。つまり、子を育てている自分自身も、実は親として育っている。
日々の生活は何かとすべての現象世界を相対的に捉えていく傾向がある。「親と子は違う」、「大人と子供は違う」と。確かにそう区別した方が生活していく上で、何かと分かり良い。ただし、仏教では刹那生滅を繰り返す一瞬の中に、かけがえのない「一時」があると説き、一瞬一瞬の現象世界は、無数の因果に依って成立しているのである。そのような“同時成立”の現象世界を「諸法実相」というのではないだろうか。この頃、私にはそう思えてしまう。
(2019年11月1日)
最近の投稿を読む
今との出会い第198回「一瞬の同時成立」
2022年9月29日
続きを読む
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」
2022年9月09日
今との出会い 第232回「漫画の中の南無阿弥陀仏」 親鸞仏教センター嘱託研究員 青柳 英司 (AOYAGI Eishi) 日本の仏教史において、南無阿弥陀仏という言葉が持った意味は極めて重い。 この六字の中に、法然は阿弥陀仏の「平等の慈悲」を発見し、親鸞は一切衆生を「招喚」する如来の「勅命」を聞いた。彼らの教えは、身分を越えて様々な人の支援を受け、多くの念仏者を生み出すことになる。そして、現代においても南無阿弥陀仏という言葉は僧侶だけが知る特殊な用語ではない。一般的な国語辞典にも載っており、広く人口に膾炙(かいしゃ)したものであると言える。…
続きを読む
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」
2022年8月01日
今との出会い 第231回「病に応じて薬を授く」 親鸞仏教センター主任研究員 加来 雄之 (KAKU Takeshi) 「また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。」(『教行信証』化身土巻、『真宗聖典』354頁)…
続きを読む
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」
2022年6月01日
今との出会い 第230回「本願成就の「場」」 親鸞仏教センター嘱託研究員 中村 玲太 (NAKAMURA Ryota) 「信仰を得たら何が変わりますか?」――訊ねられる毎に苦悶する難問であり、断続的に考えている問題である。これは自身の研究課題とする西山義祖・證空(1177…
続きを読む
No posts found