●『瑜伽論』訳出と『梵網経』注疏の制作
『梵網経』は鳩摩羅什訳出とされるものの、当初は偽撰の疑いをかけられており、積極的に注疏が作られることはなかった。『梵網経』が注目されるようになったのは、まさに『瑜伽論』の訳出があり、上記の慈悲殺生のような過激な条項が知られるようになってからであると推測されている。
玄奘による新訳菩薩地に紹介される、いわゆる「瑜伽戒」を、『梵網経』に紹介される、いわゆる「梵網戒」と、関連させて菩薩戒を解釈しようとした画期は、元暁(617―686)である。
彼の著作である『菩薩戒本持犯要記』には「多羅戒本」「達摩戒本」という彼独自の用語によって、梵網戒(=多羅戒本)と瑜伽戒(=達摩戒本)との融和が試みられている(木村宣彰[1981])。
梵網戒と瑜伽戒とを融和することによって菩薩戒を理解しようとする元暁の態度は、その後さかんに作成される『梵網経』注疏の注釈態度に影響を与えた。『梵網経』を注釈するにあたって、必ず『瑜伽論』が参照されるようになったのである。
この傾向は、義寂(?―684―704―?)や勝荘(?―700―713―?)に受け継がれて、法蔵(644―712)を経て、太賢(?―742―765―?)『梵網経古迹記』(以下『古迹記』と略)に引き継がれた。
『瑜伽論』には上記の慈悲殺生の他にも、一般的には破戒となる行為であっても、菩薩が利他のために行ったのであれば違犯にならないということが様々に説かれる。『古迹記』は、そうした菩薩による犯戒の容認を『梵網経』の条文上には認めていく姿勢をみせる。
●『古迹記』の日本仏教への影響
『古迹記』が日本仏教の戒解釈に与えた影響は少なくない。最澄(767―822)は南都に継承された『四分律』にもとづく受持戒を小乗戒と位置づけ、『梵網経』にもとづく大乗戒を提唱した。
最澄は大乗戒の正当性を論じる『顕戒論』において、しばしば『古迹記』を引用することによって、自らの見解を補強している(大谷由香[2018][2019])。
最澄が提唱した大乗戒思想の大成者として位置づけられる安然(841―915?)は、『普通広釈』に戒の奉持についての十門を説くにあたり、『古迹記』に説かれる「護持」の十門をそのまま下敷きにしながら、太賢説を発展させ、利他のためであれば十悪五逆さえも許容されることを説明している。
また当初は比叡山の大乗戒提唱を批判していた南都においても、鎌倉期に至って律宗復興を牽引した貞慶(1155―1213)が『古迹記』研究を推し進めた。
彼は著書『心要鈔』に菩薩戒の「受得」「護持」「犯失」について説くにあたり、安然が下敷きにした同様の箇所を含む『古迹記』の抜き書きを行って、まったく『古迹記』にしたがって菩薩戒を説明している。
利他のための破戒が許されるという『瑜伽論』菩薩地の言説は、『古迹記』を通じて、日本仏教における『梵網経』解釈の前提となったのである。
●菩薩の不殺生はどうあるべきか
では『梵網経』に説かれる不殺生はどのように解釈されてきたのか。
太賢は『梵網経』の十重四十八軽戒を注釈するにあたって、多くの場合には、梵網戒の禁止事項が実際には「無違犯」であることを示す根拠として『瑜伽論』を使用する。
しかし殺戒(太賢によれば「第一快意殺生戒」と呼称される)の戒条部分の注釈では、瑜伽戒の第九性罪一向不共戒を紹介しながらも「今[私の]解釈はそうではない」と述べて、慈悲殺生をまったく容認しない態度をみせている。
彼は、人々にとって死が究極の苦しみであるからこそ、菩薩は絶対に殺生をしないよう戒めるために、この戒が梵網戒の第一に掲げられていると解釈する。
そのゆえにたとえ殺生が未遂に終わったとしても犯戒となって波羅夷という最重罪を得る。律蔵では免罪となる意識混濁状態における殺生であったとしても、菩薩がこれを行えば、重罪を犯したことになるのは当然であろうと説明するのである(大正40・703中~下、李忠煥[2017])。
菩薩戒の理念として利他のために殺生を犯すことを容認する一方で、戒条部分ではこれを禁止する解釈を施すという『古迹記』の『梵網経』注釈態度は、日本においても菩薩戒理解の基本となったものと考えられる。
たとえば証真(?―1165―1207―?)・俊芿(1166―1227、入宋:1199―1211)に師事し、日本におけるはじめての智顗による『梵網経』注釈書である『菩薩戒義疏』の注疏を編んだ建仁寺八代円琳(1172―1237―?)は、『菩薩戒義疏』に「大士は機を見て殺を得る」とあるのを注釈するにあたって、聖位菩薩に限って慈悲殺生が違犯となるかどうかを議論している(『菩薩戒義疏鈔』、仏全71・85下)。
東大寺戒壇院の長老をつとめた凝然(1240―1321)もまた、法蔵による注釈書である『梵網経菩薩戒本疏』に瑜伽戒の第九性罪一向不共戒が引用されるのを複注するにあたって、慈悲殺生が許される菩薩は、階位上のどの段階であるか検討を加えている(『梵網戒本疏日珠鈔』、大正62・77中~下)。
つまり仏典にみられる慈悲殺生の記述は、観音菩薩などの高位の菩薩の立場を示したものに過ぎず、自らは、慈悲殺生など到底行える立場になどないし、もし自らが殺生を犯した場合には、その意楽の如何を問わず重犯である、というのが一般的な理解である。この理解は、南都・北嶺を問わず、『梵網経』第一重戒を解釈する上での基本的姿勢であったと考えられる。