◆仏教マンガのリアルさ

10年代を代表する【Ⅲ】の作品と言えば、僧侶の性欲と老病死、寺の家族と檀信徒との関係などをリアルに描ききった朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』が真っ先に挙げられるが、他にも若き尼僧が虐待問題を抱える親子と向き合う竹内七生『住職系女子』など、現代の僧侶が悩み続けるところにこのカテゴリーの傾向がある。

 

ここに挙げた作品の主人公たちは、煩悩を断ちきって心が平安の境地に安住するどころか、悩みの渦に巻き込まれまくる。そう、坊さんのくせに、煩悩だらけなのだ。

 

しかし、これは当たり前のことでもある。僧侶も人間なのだ。人間であるがゆえに悩み苦しむ。では、僧侶と一般人のどこに違いがあるのかというと、その苦悩との向き合い方であろう。そもそも仏教とは、誰もが体験するような人生の苦(自分の思い通りにならないこと)と真正面から向き合い、なんとかしていくための考え方と方法論について、お釈迦さまが説いたものである。そこで、それらに則って人生を歩む人々のことを“僧侶”と呼ぶわけであるが、仏教マンガの主人公たる僧侶たちが、紆余曲折しながら苦悩と向き合う姿に、読者である我々は共感し、共に考え、共に苦しむのである。

 

◆仏教マンガの現在

現在の動向で特徴的なのは、①【Ⅳ】に分類される作品の多様化、②僧侶の漫画家の存在、③監修者の僧侶の存在、の3点であろう。

 

まず①に関して、90年代以降、着実にジャンルとして増加傾向にある【Ⅳ】であるが、以前はバトル物、ギャグ、ラブコメあたりが主流であったものの、2013年刊行開始の本間アキラ『坊主かわいや袈裟までいとし』のボーイズラブ(BL:男性同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンル)や、2015年刊行開始の真臣レオン『僧侶と交わる色欲の夜に…』のティーンズラブ(TL:日本における女性向けポルノグラフィのジャンル)などによって、仏教マンガにも新たな流れが生まれてきている。

 

次に②に関して、近年僧侶自身がマンガを描く例が散見されるようになってきた。いくつか紹介すると、山口淨華『漫画・高木顕明:国家と差別に抗った僧侶』は、真宗大谷派浄泉寺(和歌山県新宮市)の副住職が、大逆事件に連座した高木顕明(浄泉寺第十二代)について描いた作品。2015年に自費出版した『漫画で読む高木顕明』を電子出版専門の仏教系出版社「響流書房」にて焼き直したものである。

 

他には、同じく響流書房から加藤泰憲作品集として『漫画ブッダから親鸞へ』『闡提―SENDAI』の2冊が発行されており、【Ⅰ】や【Ⅱ】に分類される短編が多い。作者は浄土真宗本願寺派常髙寺(愛媛県今治市)の住職であった人物で2017年に遷化されている。30代の頃には講談社の青年誌『モーニング』にも掲載経験のある漫画家でもあった。

 

また、仏教系フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』でマンガコーナーを担当していた真宗大谷派覚法寺(福岡県八女市)の衆徒である光澤裕顕の存在も目を引く。今のところ全編マンガの出版物こそないが、著作ではエッセイのほかにマンガも披露している。