そして、ここ最近わたしがオススメしたいのが、近藤丸『ヤンキーと住職』である。作者は浄土真宗本願寺派真光寺(富山県砺波市)の衆徒で、この作品が処女作となる。もともと2020年にコルク発行のwebマンガとして発表されたが、2023年になってKADOKAWAで書籍化した。内容はというと、やたらと難しい漢字を特攻服に使用したがるヤンキーと若い僧侶との対話という、キャッチーなシチュエーションで、しかもヤンキー側の仏教教理の理解が意外としっかりとしており、教えを説くべき若い僧侶が毎回ハッとさせられる展開が新しい。ただ、「天上天下唯我独尊」の解釈に関しては、現代の仏教学から見ると誤りであるとされるので、その一点だけ残念ではあるが、自分の体験をマンガにした後半を含め、全般的に内容は素晴らしいものがある。僧侶自身がマンガで法を説くということが、これほどまでに説得力を生むものなのかと感動すら覚える。
このように見ていくと、ここに挙げた漫画家は親鸞聖人の系譜の方たちばかりだが、高野山真言宗僧侶の悟東あすか(高野山別格本山西禅院徒弟)も、『あいむ・ヤッチ! 』(『毎日中学生新聞』)や『門前のにゃん』(臨済宗妙心寺派月刊誌『花園』)など、現在に至るまで多くの作品を残していることを忘れてはならない。
最後に、③に関して。仏教マンガを僧侶でない漫画家が書こうとしたとき、事実関係が合っているのかどうか監修者に判断をしてもらうのが手っ取り早い。かつてはその監修を、仏教学者が行うことが多かったのだが、それは、監修を必要とする内容が分類の【Ⅰ】や【Ⅱ】に属する作品であったためで、当然と言えば当然である。しかし近年は、学者ではない僧侶が監修を行う機会が増えてきたように思う。例えば、2018年の高島正嗣『ZEN 釈宗演』では臨済宗円覚寺管長の横田南嶺が、そして2020年刊行開始の藤村真理『めでたく候』では真言宗豊山派正福寺(千葉県松戸市)住職の櫛田良道(大正大学文学部准教授)、同じく大聖護国寺(群馬県高崎市)住職の飯塚秀誉、能蔵院(千葉県木更津市)住職の守祐順が挙げられる。監修だけではなく、企画の段階から加わることもあり、僧侶自身が漫画を描かずとも、仏教マンガを生み出せるという新たな流れも生まれてきているのである。
◆仏教マンガの今後
仏教をもっと身近にと考えて、マンガというメディアを取り入れるのであれば、現在のマンガが置かれている現状を知っておかなければならない。
若い世代を中心に、現在のマンガは、紙媒体の単行本をめくって読むものではなく、スマートフォンの画面を指でスライドさせて読むものへと変化している。その際、既存のページ原稿では、文字も絵も見えづらいということもあって、90年代末頃に韓国で発明されたウェブトゥーンという形式が主流になりつつある。ウェブトゥーンは、「縦スクロール(縦読み)」且つ「オールカラー」のマンガのことで、小さいスマホの画面に1~2コマずつ表示される方式だ。
つまり、これまでとは読書中の視線の動きが異なるということであり、それはマンガを作成する上での文法自体が変化していることを示している。こうした新しいプラットフォームは、スマートフォンが支持され続ける限り発展し続けることは明白である。この技術にマッチする形での仏教マンガの制作も今後は課題となっていくことだろうし、逆に効果的に表現できれば、おもしろい作品が作られる可能性も広がっているのである。
※ 本稿のグラフで示した数値は、現時点での私ができる限り調べた結果であり、これらに反映されていない作品もどこかにあることはご承知頂きたい。また、年代別に集計する際、複数巻発行の作品やシリーズ物に関しては、コンセプトを打ち出して動き始めたという意味で第1巻の発行年にまとめている。
※ グラフの元データとなるデータベースに収めた“仏教マンガ”は、全編がマンガで構成されている作品であり、1冊の内に補足のエッセイなどの分量が多い作品は除外した。
吉村 昇洋 YOSHIMURA Shoyo
曹洞宗八屋山普門寺住職
相愛大学非常勤講師
著書に、『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ、2021)、『精進料理考』(春秋社、2019)など。
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