筆者は宗教学の領域で近代以降の仏像を研究しているが、それは仏像を「美術作品」として研究するのではなく、仏像にどのような祈りが込められているのかを考察するためだ。このような研究をしようと思ったきっかけは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だった。2013年から地震と津波の被害が大きかった岩手・宮城・福島の東北3県にて調査をおこない、その中で複数の仏像が造られる現場に立ち会った。

 

何度も東北地方を訪れる中で、筆者自身が提案した「にぎり仏ワークショップ」で被災者の方々と一緒に仏像を造る機会もあった。このワークショップのきっかけは、岩手県大船渡市の仮設住宅にお住まいの目が不自由な高齢の女性から、私は目が見えないけれど、震災関連死を遂げた配偶者のために仏像を造ってあげたいとの申し出があったことだ。筆者は被災地で傾聴ボランティアをおこなっていた僧侶や学生ボランティアと協力しながら、木質粘土を使って仏像を造るワークショップを提案した。仮設住宅でおこなわれたワークショップでは、まず僧侶が女性の配偶者の戒名を紙に墨で書き、その紙を小さく丸めて芯にした。そして学生ボランティアに手を添えてもらいながら、芯の周りに粘土を盛りつけ仏像の形を造った。粘土を使った簡素な造形であったため、はじめて仏像を造る高齢の女性でも制作が可能になった。出来上がった小さく可愛らしい仏像を前に涙を流しながら手をあわせて祈る女性の姿に、改めて仏像は祈りの対象であることを感じた。

 

粘土とは異なり、木材を彫る仏像彫刻は技術と経験が必要となる。東日本大震災後に筆者が出会った仏像の制作者のうち、木を彫ることに祈りを込められていると強く感じた2名の方を紹介したい。

 

お一人目は陸前高田市の被災松に観音像を彫った仏像彫刻師の佐々木公一氏だ。佐々木氏は富山県で修行し、生まれ故郷である岩手県気仙郡住田町に木彫工房五葉舎を開いた。その2年後、東日本大震災が発生したのだ。当初は巨大地震の全貌がわからなかったが、消防団員として捜索活動に加わり津波による甚大な被害を目の当たりにしたという。震災からしばらくは物資の輸送などの支援をおこないながら、それまで引き受けていた木彫の仕事を続けていた。