震災から1年が経過し、外部からの支援も増えたことで木彫の仕事に集中することができ、震災で亡くなった方のための仏像を彫るしかないと感じるようになった。特に陸前高田市の市役所に勤める従姉妹が津波によって亡くなったこともあり、陸前高田の松を使用したいと考えていた。被災した高田松原の松を陸前高田の木材商より、知人の紹介で無償で提供してもらうことができた。「奇跡の一本松」として現在はモニュメント化されている松よりも樹齢の長い大きな松の木に、高さ約160センチメートルの慈悲の表情に満ちた白衣観音像を彫り上げた。
陸前高田は復興の途中であり恒久的な建物が少なかったこと、また気仙地域から盛岡に避難している方も多かったことから、観音像は盛岡市の復興支援センターに安置された。震災から10年が経過した2021年、観音像にヒビ割れが出てきたので、工房に持ち帰り修復した。当初、佐々木氏は、陸前高田市の公共施設に設置することを考えていたが、政教分離などの問題もあり、長期間にわたる観音像の設置に不安があるため断念した。そして観音像に地域の観音信仰の中で末永くお参りしていただけるよう、気仙三十三観音霊場の三十三番札所にあたる陸前高田市の浄土寺(浄土宗)に安置することになった。佐々木氏は、これだけ大きな仏像を彫れるほどの松の木が高田松原に何万本もあったのだということ、それらを植え育ててきた先人たちの思い、そしてそれらが一瞬にして失われたという事実を、いつまでも忘れないでいてほしいと願っているという。
お二人目は、震災で亡くなった多くの人々のために巨大な不動明王像を彫り続ける僧侶、小池康裕氏だ。宮城県東松島市の清泰寺(曹洞宗)の住職である小池氏は、東日本大震災が発生した2011年の夏から葬儀などの合間を縫い、ケヤキ材を組み合わせて6メートルを超える巨大な不動明王像を彫り続けている。