小池氏は30年ほど前から独学で仏像を彫っていた。転機となったのは2003年7月に発生した宮城県北部連続地震だ。この地震によって江戸時代から続く清泰寺の本堂や山門は全壊してしまった。この時、倒壊した建物の部材を用いて、檀家のために仏像を彫るようになった。宮城県北部連続地震からの復興が進められていたところに、また東日本大震災が発生した。内陸部にあり津波の被害を免れた清泰寺は檀家や近隣住民の避難場所となった。震災直後から小池氏は、菩提寺を持たない遺族らのため、犠牲者の供養に奔走し、震災で亡くなられた方、200名以上の葬儀で導師を務めた。さらに震災で家族を亡くした檀家のために仏像を彫り贈った。小池氏は、震災や津波、自然の巨大な力に立ち向かうには、お地蔵さんや観音様のような優しさだけではダメだ、不動明王のような力強さが必要であると考えた。一般的な不動明王像は右手に宝剣、左手に羂索(縄)を持つ二臂の姿だが、震災後に彫り始めた不動明王像は通常の二臂に左右一本ずつ腕を加えた四臂とした。加えられた二臂のうち、大地に下ろされた右腕は、地震を抑え犠牲者を津波からすくい上げることを表し、天に向かって伸びる左腕は、亡くなった人を極楽浄土へと導くことを表している。
巨大な不動明王の周りに足場の組まれた作業場には暖房設備はなく、冬はとても寒い。またケヤキ材は固いため、節などに当たると弾き返されることもある。だが80歳を過ぎてなお、読経しながら大きな木槌を振るいノミを入れる小池氏の手は力強い。小池氏は「芸術のための仏像ではない、僧侶にしか彫ることのできない、亡くなった方を思い、人々が静かに手をあわせられる仏像を彫り続けたい」とおっしゃっていた。
最後に東日本大震災による津波などによって亡くなられた方々の十三回忌にあたる2023年に新たに発願された大仏を紹介したい。遺族の心の拠り所となるように発願された「いのり大佛」である。震災の記憶が薄れはじめる十三回忌という節目は、新しい生活に少しずつ慣れる時期であるとともに、亡くなった方々への思いを受けとめてくれる存在が必要とされる時期となる。