広辞苑第五版「遊ぶ」欄を見ると、日常的な生活から心身を解放し別天地に身をゆだねる意、とある。真剣に遊びと向き合っている時は無我夢中になり、遊びへ引き込まれているように思う。そんな中ふと我に返ると文字通り「この私」に立ち戻る。ずいぶん夢中で遊んでいたな、と先ほどまでの自分の姿を客観視することとなる。遊びの良さはここにある。遊びとは日常の中の出来事ではありつつも、そんな日常やこの私自身を離れた場所から観察する視点を提供してくれるのだ。遊びは、気持ちの余裕・ゆとりや、ギチギチとした日常のすきまになってくれる。外からの視点を持ってきてくれる貴重な存在なのだ。
私たち人間は必死に毎日を生きている。必死に生きているからこそ、この日常から離れることを自分で自分に許さない。そんな自縄自縛を解き放つためには、外からの視点を持ってくることだ。仏教で言えば、三界から離れた仏を礼拝したり念じたりすること、先に逝った親しい人々にお参りすることで完遂されるだろう。遊びは非日常を作り出し、自身を俯瞰して見ることを可能にする。時間や場所を区切って遊ぶことで、自分と向き合いやすくなるだろう。その点、浄土双六のような仏教を楽しく学びながらできる遊びは、ままならなさに振り回されている自身の姿、自分とは何者なのか、仏教と遊びの相乗効果でより俯瞰視することができる。出世間の僧侶や仏教とは社会から離れた視点を与えてくれる存在であり、「遊び」との親和性も高い。「遊び」にはとても大きな力があると私自身感じている。
向井 真人 MUKAI Mahito
臨済宗妙心寺派 陽岳寺住職・クリエイター
自坊でようがくじ「不二の会」を立ち上げ、坐禅会・ヨガ・ゲーム部・お茶の会などを企画開催。
2015年からは「御朱印あつめ」「檀家-DANKA-」「浄土双六ペーパークラフト」「おえかきネハンズ」などのお寺系ボードゲームを製作している。
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