相談系でもっとも回っているチャンネルの一つが、「大愚和尚の一問一答(@osho_taigu)」である。63万人以上の登録者がいる。構成は至ってシンプルで、視聴者から寄せられた悩みに対して、和尚が仏教用語を交えながら返信する。大愚和尚は愛知県にある福厳寺の住職で、一度は生家でもある寺を飛び出してビジネスに身を投じたが、その後改めて仏道に戻ったというユニークな経歴の持ち主だ。和尚の語り口は柔らかく、わかりやすいロジックではっきりと指針を示す。
例えば「自殺は悪いことなのか?」という相談がある。相談者は母親と愛猫を立て続けに失い、自殺すれば、あの世で母や猫に会えるのかと尋ねる。大変に難しい相談だが、宗教者こそが答えるべき問いかもしれない。和尚は「死んだらどうなるのかはわからない」と言い切る。ただ、仏教が「不殺生戒」を第一に掲げるのは、それが極めて「残念」だからであり、自殺は残念としか言いようがないと述べる。
「子育てが思い通りにいかない」という悩みには、「忍辱(にんにく)」を説く。和尚によれば、忍辱は単なる我慢を意味しない。子育てを忍辱の修行と捉え返すことで、自分が成長する機会になる。そしてイラっとしたら合掌する。手を開いてくっつければ拳にならない。実にうまい回答である。
「自分には友達がいない」「コミュニケーション能力がない」という相談には、そもそも僧侶の集まりであるサンガは、世間一般とうまくいかないはみ出し者のコミュニティであったと語る。そして、無理に友達になろうとして、自分の内側に緊張を生まないようにとアドバイスする。この動画は260万回以上再生されている。
こうした仏教系YouTubeの展開は、今後の日本の宗教状況を考える上でも重要だ。筆者は、日本宗教の特徴を「信仰のない宗教」として捉えている。何か否定的に響くかもしれないが、そうではない。仮に、この言葉に否定的なニュアンスを感じ取ったとしたら、それは、宗教を理解する際にあまりに信仰を重視してしまっているということだ。
ここで言う信仰とは、教団が公認する教義の体系に基づく信仰を指す。キリスト教のプロテスタントをイメージしていただくとわかりやすい。何よりも聖書という文章に紐づいた言語化された信念体系を中心とし、儀礼や巡礼のような実践、あるいは単に教会に所属していることには、それほど価値を見いださない。個々人が聖書の教えを内面化することが大切なのだ。