他方、日本の伝統宗教の文脈では、上のような信仰の内面化がないまま、宗教と関わるのが一般的であった。自分の家の宗派についてほとんど知識がなくとも、檀家として特定の寺院に所属し、不幸があれば葬儀を実践することに違和感を抱かない。2018年の真宗教団連合の調査では、門徒と呼ばれる信者のうち、悪人正機という言葉の意味を正しく理解していたのは約19%で、約40%はそもそもこの言葉を知らなかったという。信仰と実践が分離しているのだ。
2000年代以降、パワースポットという和製英語が定着し、事実上の聖地巡礼が活性化しているのも、やはり信仰が重要視されないからだろう。アニミズムという土台があるとはいえ、神社仏閣も巨木も滝も鍾乳洞もパワーがもらえる聖地として一括される。そして、パワーの源泉や詳細については特に語られないのである(詳しくは拙著『宗教と日本人──葬式仏教からスピリチュアル文化まで』[中央公論新社、2021]をご高覧頂きたい)。
俯瞰すると、人生相談系の仏教系YouTubeは、日本の信仰のない宗教状況に対して、信仰が持つ意味を改めて確認する場になっているように思われる。法事の際の法話では届かなかった信仰をめぐる話が、YouTubeでは、それを必要とする相談者に届けられる。信仰の需要と供給が一致しやすいところに、宗教者がYouTubeで発信するメリットがあると言える。
とはいえ、YouTubeには、一般的に問題ありとされる教団による発信も無数にある。そうした動画が数十万回再生されている現実もある。当然ながら玉石混交であり、そうした中で一般の人々の需要をしっかりとつかみ取ることが、伝統宗教を担う宗教者にこれまで以上に求められるように思われる。
岡本 亮輔 OKAMOTO Ryosuke
北海道大学大学院 教授
著書に『聖地と祈りの宗教社会学 巡礼ツーリズムが生み出す共同性』(春風社、2012、日本宗教学会賞受賞)、『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』(中央公論新社、2015)など。新著に『創造論者vs. 無神論者 宗教と科学の百年戦争』(講談社、2023)。
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