過去が今に触れるとき
 ―記録と記憶の交差する空間で―

磯部美紀 ISOBE MIKI

 東京国立近代美術館で開催中の企画展「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」を訪れた。タイトルもポスターもどこか控えめで、通りすがりには静かな佇まいに見える。それでも夕暮れ時の館内には、仕事帰りの会社員や海外からの観光客など、様々な人々が足を運んでいた。

 昭和100年、戦後80年の節目にあわせて開催された今回の企画展は、「時代を映し出す鏡」とも呼ばれる美術を手がかりに、1930年代から1970年代までの時代とその文化を振り返る構成になっている。「戦争記録画」を含む絵画のほか、当時の新聞や雑誌、絵葉書やポスターなどが展示される空間には、静かな空気が満ちていた。一つ一つの作品が訴えかける声に耳を傾けようとすると、どこかに飲み込まれていくような感覚を覚えた。

 なかでも足がとまったのは、「よみがえる過去との対話」のコーナーに掲げられた一枚の絵、石風呂環(いしふろたまき)による《長女を火葬し、行方不明の次男の無事を祈る》(1974-75年)である。これは、広島平和記念資料館所蔵の「市民が描いた原爆の絵」の一つにあたる。薪の上に直接横たわっている少女はすでに火の渦の中にあり、その傍らには涙を流しているようにも見える父親が腰を下ろしている。

 描かれた情景の上には、画面半ばまで作者自身の言葉が綴られている。右側には、「長女尚子(三才)を自分で焼く……『私も行く。先に行つて居て呉れ』と、手を合す……元気な子を焼くのだ 可愛想だ 見て居られない 気が狂いそうだ これが現世とは、思へない地獄だ」とあり、幼き娘を自ら火葬せざるを得ないやるせなさが見てとれる。左側には、「あれから三十年 死んだ二人の子にすまんすまんと、生きてきました。親の責任だ 赦してくれ、小供達。約束を守らず、(勇気がなかつた。)」と記され、作者自身の死別後の歩みと、亡き子への思いが綴られている。

 筆者の言葉を目で追い終わると、私の視界はぼやけていた。それは、自らの手で我が子に火を放たねばならない親の苦しみに心を寄せたからなのか。あるいは、個人の力を超えたところで生じる出来事にもかかわらず、自責の念にかられてしまう、そのやりきれなさに胸を突かれたからなのか。

 私の直接の記憶にないはずの戦争が、過去の出来事ではなく、今ここで迫ってくるようなものとして感じられた。それは、史実を伝える「記録」としてではなく、私の身体に入り込んで再構成され、体温を帯びた「記憶」として立ち現れていたのではないだろうか。

 過去は遠く隔てられたものではなく、ふとした瞬間に今と重なる。その重なりによって生まれる出会いは、決して穏やかなものばかりでない。時に痛みを伴い、ざらついた感触を残すこともある。しかし、そのざらつきこそが、忘れずに見つめ続けるべきことの一端なのかもしれない。記録と記憶の交差する空間で、そうした思いを静かに受け取った。

磯部美紀 ISOBE MIKI

親鸞仏教センター研究員、日本体育大学非常勤講師、
関東学院大学非常勤講師、跡見学園女子大学兼任講師。

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