第170回「親鸞教学の現代的課題Ⅳ―宿業を大地として―⑭」
私たちは自分の生活経験が蓄積されることによって、自分自身を作り上げてきている。その蓄積される場所、すなわち業報を引き受ける場所は、衆生の日常生活を成り立たせて⋯ 続きを読む
私たちは自分の生活経験が蓄積されることによって、自分自身を作り上げてきている。その蓄積される場所、すなわち業報を引き受ける場所は、衆生の日常生活を成り立たせて⋯ 続きを読む
衆生(sattva)は「異生(いしょう)」と翻訳される場合がある。それは、みな等しく五蘊(ごうん)所成ではあっても、人間存在の現実的在り方は、それぞれ異なって⋯ 続きを読む
法蔵願心は、まず衆生に業報(ごうほう)の差異が存することを感じ取り、具体的に衆生に欲生心を呼びかけるにあたって、諸行を修することを明らかにされた。しかし、それ⋯ 続きを読む
法蔵願心が、まずは「自力」の意欲(第十九願)から出発することを選ぶのは、衆生の曠劫(こうごう)以来の流転の歴史に応じているからだ、と述べた。この願の成就文を、⋯ 続きを読む
法蔵願心は、十方諸仏の世界に呼びかけて、自力の求道過程にもがいている衆生に必ずや縁を結ぼうとする。そのために「光明名号をもって十方を摂化したまう」(『教行信証⋯ 続きを読む
法蔵菩薩の兆載永劫(ちょうさいようごう)のご苦労は、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」(『教行信証』)⋯ 続きを読む
法蔵菩薩の物語には、諸仏浄土のなかから、弥陀の浄土を選択摂取(せんじゃくせっしゅ)するということがある。この物語の発願の段にある「無上殊勝の願を超発す」*とい⋯ 続きを読む
意識が現行(げんぎょう)するときには、必ず意識の内容を意識するという形で起こる。これを意識の二分と言い、意識それ自体を見分とし、その意識の内容を相分と名付けて⋯ 続きを読む
迷妄なる自己自身の成り立ちを、深層意識に阿頼耶(あらや)識を見いだすことを手がかりに、存在論的に解明してきたのが大乗仏道における唯識思想であった。その名の「ア⋯ 続きを読む
法蔵菩薩は、『無量寿経』のなかで語られる物語の主人公の名である。『無量寿経』は、一切衆生を平等に救済せんとする大悲の物語である。その主人公たる法蔵菩薩は、ある⋯ 続きを読む