第150回「親鸞教学の現代的課題Ⅲ―生まれ直しの思想―」⑭
親鸞は、「横超の信心」*が「金剛心」であることを、善導の「共発金剛志」、および「正受金剛心」という語を手がかりに考察している*。そしてそのときに、「二河譬」に⋯ 続きを読む
親鸞は、「横超の信心」*が「金剛心」であることを、善導の「共発金剛志」、および「正受金剛心」という語を手がかりに考察している*。そしてそのときに、「二河譬」に⋯ 続きを読む
『無量寿経』が「法蔵菩薩」の名で語りかける願心は、われら凡夫の意識上には、ほとんど自覚的になってこない。これを自覚するのは、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶⋯ 続きを読む
人間の一人ひとりの実存は、「独生独死独去独来」*と教えられているように、一回限りの独自の生存であり、近い因縁の人々に取り巻かれてはいても、苦境にぶつかるとき、⋯ 続きを読む
「共発金剛志」によって「横超断四流」が成り立つ*と善導が言うのは、われら凡夫にいかなる事態が発起することなのであろうか。この「共発」とは、人間存在の根底から立⋯ 続きを読む
善導が「共発金剛志」という含みのある言葉に「横超断四流」という言葉を加えていることの意味を、親鸞はしっかり見届けようとした*。「共発」とは一切衆生の根源に呼び⋯ 続きを読む
親鸞は、『大無量寿経』「横截五悪趣」の文と、善導の「横超断四流」という言葉を付き合わせて、本願成就の信心には「よこさま」に迷いのいのち、流転のいのち、すなわち⋯ 続きを読む
親鸞は、『無量寿経』の「横截五悪趣」の文を、善導の「横超断四流」の文に付き合わせて、「横超」が信心内面の功徳であることを表されている*。この「横さまに超える」⋯ 続きを読む
親鸞直筆の板東本『教行信証』「行巻」に書かれている「正信偈」の「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣〈信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、すなわち横に五悪趣を超截す〉⋯ 続きを読む
善導の「横超断四流」*の文を、親鸞が「信巻」で取り上げている意味を考えている。この文が、「信の一念」に含蓄される本願の利益を表すと、親鸞はいただいた。であるか⋯ 続きを読む
善導の「横超断四流」*の文に触れつつ考察しようとしている。従来は、この問題を親鸞が「信巻」で扱う意味を、「信の一念」から切り離して、信心の一般的な意味として扱⋯ 続きを読む