第130回「親鸞驚愕の現代的課題Ⅱ―法蔵菩薩―」②
「煩悩具足の凡夫、生死罪濁の群萌」(『教行信証』*)が、正定聚(しょうじょうじゅ)に住することにおいて、大涅槃を必ず得られると確定する。このことを衆生が自分自⋯ 続きを読む
「煩悩具足の凡夫、生死罪濁の群萌」(『教行信証』*)が、正定聚(しょうじょうじゅ)に住することにおいて、大涅槃を必ず得られると確定する。このことを衆生が自分自⋯ 続きを読む
大涅槃を衆生に確保することが、阿弥陀の本願の真の目的である。したがって、その本願を信受する衆生に、純粋未来という限定を通しながらも、かならず大涅槃をさとる智恵⋯ 続きを読む
「大涅槃」は衆生にとって「純粋未来」の課題であると、曽我量深先生が表現する。それは、凡夫が涅槃を直接体験するのではない。衆生の本来性に内具する真理を、必ず目覚⋯ 続きを読む
衆生に与えるべき「大涅槃」を「純粋未来」の必然性として確定的に表現することと、法蔵願心が「兆載永劫」という無限の時間を語ることとの課題を考えよう。 無限大悲⋯ 続きを読む
大涅槃を本願力の信受において、凡夫の現在に「必然」として確保するということ。この論理を信頼することによって、求道の課題は「真実の信心」を獲得することひとつにか⋯ 続きを読む
真実信心を因とし、真実証を果とする。その因果が、選択本願の因果であり、その因果を大悲心の回向の内容として、罪濁の凡愚(ぼんぐ)を等しく潤そうということ、これが⋯ 続きを読む
真実教たる『大経』は、真実証(証大涅槃)を一切の凡愚(ぼんぐ)に、如来の往相回向の德として施与(せよ)する。このことを、親鸞聖人は必至滅度の願の意⋯ 続きを読む
親鸞聖人は『三経往生文類』において、必至滅度の願(第十一願)と至心信楽の願(第十八願)の関係を、「念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり」*と表され⋯ 続きを読む
如来の回向に値遇(ちぐう)することによって、愚かで罪悪深重の凡夫が「涅槃」の功徳との関係を獲得できるということを、親鸞聖人はどうしてそれほど大切なこととされた⋯ 続きを読む
親鸞の信心の本質は、本願を救済原理として信ずるというところにのみあるのではない。むしろ、本願力が「回向」を通して、凡愚を救済するというところにこそある。これは⋯ 続きを読む