第120回「親鸞教学の現代的課題Ⅰ」②
親鸞教学の現代的課題ということで問題を煮詰めるにあたって、まずは、いわゆる伝統教学がほとんど「死学問」であるとされたことについて、その意味を考察してみたい。 ⋯ 続きを読む
親鸞教学の現代的課題ということで問題を煮詰めるにあたって、まずは、いわゆる伝統教学がほとんど「死学問」であるとされたことについて、その意味を考察してみたい。 ⋯ 続きを読む
このたび、当親鸞仏教センターでは、鈴木大拙『英訳 教行信証』をオックスフォード大学出版局USAから新訂版として出版した。この訳は50年前の親鸞聖人700回御遠⋯ 続きを読む
「自然」は、「おのずからしかる」と訓(よ)むのが一般的であろう。そう訓むなら、ものごとはひとりでに成るように成る、という存在理解のかたちを言い当てる言葉となる⋯ 続きを読む
衆生の因位に植え込まれた本来性への意欲が、衆生を聞法の生活へと誘引する。この方向を教導するために、本来性を「存在の故郷」として象徴的に表現する教えが説き出され⋯ 続きを読む
諸仏如来の智慧という表現は、如来が諸仏として見いだされてくる場合の、大乗の智慧であろう。それは、個人の如来であった「シッダールタ」という歴史上の一人物を、偶像⋯ 続きを読む
存在の本来性を、衆生に知らせんがために、形なき法性を言葉に表現するということ。このことは、「弥陀仏のよう」とか「方便法身」となった報土のみに限られることではな⋯ 続きを読む
『無量寿経』の法蔵願心が建立する浄土を、『浄土論』では「願心荘厳」*と表現する。『阿弥陀経』では「功徳荘厳」と繰り返されているが、願心によって荘厳された「功徳⋯ 続きを読む
一如は、真如とか法性とか、さらには涅槃などとも同義語であると親鸞は見ている。これらの言葉を、「必至滅度の願」に応ずる真実証の内容であるとして、「証巻」の始め*⋯ 続きを読む
仏教は因縁の道理を具体的に体感した事態を、「一如宝海」*と教える。「一如」は、凡愚の人為的な意識分別が作用する以前の、本来の自然な因縁そのままの、ありのままの⋯ 続きを読む
願心が荘厳して語り出した場所(報土)を、「自然の浄土」と親鸞は表現する。『経』においては、本願が国土を建立すると語られ、その国土のもつ意味が「功徳荘厳」である⋯ 続きを読む