第118回「自然の浄土」⑫ 🈡

 「自然」は、「おのずからしかる」と訓(よ)むのが一般的であろう。そう訓むなら、ものごとはひとりでに成るように成る、という存在理解のかたちを言い当てる言葉となる⋯ 続きを読む

第117回「自然の浄土」⑪

 衆生の因位に植え込まれた本来性への意欲が、衆生を聞法の生活へと誘引する。この方向を教導するために、本来性を「存在の故郷」として象徴的に表現する教えが説き出され⋯ 続きを読む

第116回「自然の浄土」⑩

 諸仏如来の智慧という表現は、如来が諸仏として見いだされてくる場合の、大乗の智慧であろう。それは、個人の如来であった「シッダールタ」という歴史上の一人物を、偶像⋯ 続きを読む

第115回「自然の浄土」⑨

 存在の本来性を、衆生に知らせんがために、形なき法性を言葉に表現するということ。このことは、「弥陀仏のよう」とか「方便法身」となった報土のみに限られることではな⋯ 続きを読む

第114回「自然の浄土」⑧

 『無量寿経』の法蔵願心が建立する浄土を、『浄土論』では「願心荘厳」*と表現する。『阿弥陀経』では「功徳荘厳」と繰り返されているが、願心によって荘厳された「功徳⋯ 続きを読む

第113回「自然の浄土」⑦

 一如は、真如とか法性とか、さらには涅槃などとも同義語であると親鸞は見ている。これらの言葉を、「必至滅度の願」に応ずる真実証の内容であるとして、「証巻」の始め*⋯ 続きを読む

第112回「自然の浄土」⑥

 仏教は因縁の道理を具体的に体感した事態を、「一如宝海」*と教える。「一如」は、凡愚の人為的な意識分別が作用する以前の、本来の自然な因縁そのままの、ありのままの⋯ 続きを読む

第111回「自然の浄土」⑤

 願心が荘厳して語り出した場所(報土)を、「自然の浄土」と親鸞は表現する。『経』においては、本願が国土を建立すると語られ、その国土のもつ意味が「功徳荘厳」である⋯ 続きを読む

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