第80回「生きている〈場〉の展開」⑧
この世界に生存を与えられるということは、近くは両親の出遇いによって、子として誕生することである。その両親が出遇うということの背景には、両親のそれぞれの生存もま⋯ 続きを読む
この世界に生存を与えられるということは、近くは両親の出遇いによって、子として誕生することである。その両親が出遇うということの背景には、両親のそれぞれの生存もま⋯ 続きを読む
「信の一念」のことに触れたのだが、『大無量寿経』の本願成就の文に「乃至(ないし)一念」*とあるのを、念仏の行為をたとい一回なりとも行うという意味(行の一念)の⋯ 続きを読む
「信の一念」*ということは、念仏を行ずる衆生の心に与えられる事柄である。この問題を親鸞が提起したのは、行者が念仏を行ずるということについて、どうしても自分たち⋯ 続きを読む
正定聚(しょうじょうじゅ)に住することを、「住不退転(じゅうふたいてん)」ともいう。退転しないという位に立つということである。これに対して、退転の危機をいつも⋯ 続きを読む
現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)が成り立つことを、親鸞は「行巻」(『教行信証』)で語っている。念仏をほめている文章を、歴史の証文として引用し、結びに源⋯ 続きを読む
「必至滅度(ひっしめつど)の願」に注目したのが、曇鸞(どんらん)であった。この願は、彼の国に生まれたなら、悉(ことごと)くみな正定聚(しょうじょうじゅ)に住す⋯ 続きを読む
浄土は法蔵願心がはたらき続けている場である。場は、どのような場合でも、そこに生活する者との呼応によって、変化していく。法蔵願心の場は、物語としての法蔵因位の「⋯ 続きを読む
「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と『歎異抄』*にいわれる「親鸞一人」について考察してきたが、この「親鸞⋯ 続きを読む
「親鸞」という名の背景に天親・曇鸞の学びがあるのだが、33歳までにはそれがなかったのではないか、という考えがある。そもそも、宗祖親鸞の比叡の山での学びについて⋯ 続きを読む
親鸞は、師法然の選択(せんじゃく)本願の教えを受けて、それを「他力」であるといただいた。その他力は、人間のもっている諸条件を突破して、一切衆生に成仏への根拠を⋯ 続きを読む