第50回「場について」⑳
そもそも浄土は、第一に「罪悪の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)するための大悲の場」であり、第二に「愚(おろ)かなる衆生に仏法の救いを具体化するための場」で⋯ 続きを読む
そもそも浄土は、第一に「罪悪の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)するための大悲の場」であり、第二に「愚(おろ)かなる衆生に仏法の救いを具体化するための場」で⋯ 続きを読む
「純粋未来」とは、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が一切衆生(いっさいしゅじょう)に大悲の願心(がんしん)を呼びかけるために、「真仏土(しんぶつど)」、すなわち「真⋯ 続きを読む
「純粋未来」からのはたらきを、本願は「浄土」をとおして具体化する。このことを、生命存在にとっての広い意味での環境たる「場」との関わりとして、涅槃(ねはん)のは⋯ 続きを読む
「場の研究所」所長・東京大学名誉教授の清水博先生が、昨年(2006年)春の親鸞仏教センター主催の「つどい」にご出席くださり、「場」という言葉が話題になっていた⋯ 続きを読む
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が「浄土を建設する」ということを自己の根本的な願(がん)として、世自在王仏(せじざいおうぶつ)の前で宣言し、あらゆる諸仏の国土の善悪⋯ 続きを読む
昨年(2006年)10月に行われた親鸞仏教センターの「親鸞思想の解明」シンポジウムでは、「場の研究所」を主催しておられる清水博先生(東京大学名誉教授)をお招き⋯ 続きを読む
根源にある場を不可思議なる存在の背景と自覚する、ということ。この場は、静止的な地下水の滞留(たいりゅう)のごときものではなく、われらの表層の意識生活へとささや⋯ 続きを読む
大悲とは、「如来の無縁の慈悲」であるという。しかし親鸞は、天親菩薩の『浄土論』の「回向為首得成就大悲心故」(回向を首〈しゅ〉として大悲心を成就することを得るが⋯ 続きを読む
「回向(えこう)」の教学とは、親鸞の思想の中心を押さえる言葉である。法然の教学を「選択(せんじゃく)」の教学というのに対して言われることもある。罪深く愚かな衆⋯ 続きを読む
釈迦如来が五濁(ごじょく)の世に生きる凡夫のために、「本願」の因果というかたちの教説を開示された。一切の衆生(しゅじょう)に呼びかけて苦悩の人生を超えていく智⋯ 続きを読む