第40回「場について」⑩
「場について」⑧において、浄土を建立するのは、衆生にそこへ生まれたいという意欲、すなわち欲生心(よくしょうしん)を呼びかけ、それを通して如来の大悲を現実化しよ⋯ 続きを読む
「場について」⑧において、浄土を建立するのは、衆生にそこへ生まれたいという意欲、すなわち欲生心(よくしょうしん)を呼びかけ、それを通して如来の大悲を現実化しよ⋯ 続きを読む
願心(衆生を救済せずには、自己自身をも成就しない)ということは、永劫(ようごう)にはたらき続けて疲れることを知らない精神であろう。この形の無い願心が、愚かな衆⋯ 続きを読む
願心荘厳(がんしんしょうごん)の場がわれらに呼びかけるのだということを、親鸞は『教行信証』「信巻」の「欲生心」の註釈に表している*。このことを言うためには、す⋯ 続きを読む
浄土とは、願心(がんしん)の荘厳功徳(しょうごんくどく)で表される場所だと世親(せしん)菩薩はいう(『浄土論』取意)。この願心とは、『無量寿経』に語られる法蔵⋯ 続きを読む
『浄土論』を読んでいると、如来の悲願を象徴している形が、「荘厳(しょうごん)功徳」であるというのだが、実はその功徳とは、「一如(いちにょ)の功徳」だと親鸞は言⋯ 続きを読む
浄土の教えは、この世界とは時間空間を異にする、別の世界が有るという形態で教えが立てられている。現代の私たちは、科学的な知識や実証性の恩恵に取り巻かれ、その情報⋯ 続きを読む
場といえば、生物の棲(す)み分けのテリトリーのことが思い起こされる。それぞれの生き物には、その生存を支えるだけの食べ物を確保するための領域が必要である。そのた⋯ 続きを読む
場(環境)と主体とは、本来生きている事実においては、深い因縁関係によって分かちがたいものである*、と述べた。むしろ内に自己を感じ、外に環境を感ずることが、生命⋯ 続きを読む
私たちは、この世に生きるについて、必ず身体を与えられている。身体はその生命作用を持続する「場」をもっている。いわゆる「環境」である。この身体と環境との関わりを⋯ 続きを読む
宇宙空間には、何かのはたらきが充満しているが、人間にとっては「真空」としか感じられない、ということがある。そのはたらきがあるから、電磁波とか光が伝わるのである⋯ 続きを読む