第30回「他力の努力」⑥ 🈡

 宇宙空間には、何かのはたらきが充満しているが、人間にとっては「真空」としか感じられない、ということがある。そのはたらきがあるから、電磁波とか光が伝わるのである⋯ 続きを読む

第29回「他力の努力」⑤

 「他力本願」という言葉は、自分以外の他の力や自分の外の因縁に期待して、自分は何の努力もしないことを表すかのように理解され、そういう意味の文脈で使われてしまって⋯ 続きを読む

第28回「他力の努力」④

 「人事(じんじ)を尽くして天命(てんめい)を待つ」ということが、普通の処世の常識的な態度というものであろう。この一般的な人生態度に対して、明治の近代化に急ぐ日⋯ 続きを読む

第27回「他力の努力」③

 普通、人間の努力とその結果との関係について、「人事(じんじ)を尽くして天命(てんめい)を待つ」ということが言われている。「人事を尽くす」ということは、先回に触⋯ 続きを読む

第26回「他力の努力」②

 「他力」という考え方には、私たちの日常の経験で、当然とされていることとの間の食い違いのようなことがある。普通、日常の人間の営みは、自分のことには自分の判断とそ⋯ 続きを読む

第25回「他力の努力」①

 「他力の努力」とは、いわゆる努力ではないのであろう。普通には努力するというときの意識に、必ず意志を動かして「努める」ことが必要となる。いわゆる努力意識である。⋯ 続きを読む

第24回 「濁浪清風」㉔ 🈡

 「他力」とは、「努力のないこと」というなら、何もしないことなのか。どうも、他力というと自分は何もしないで、与えられてくることを拱手傍観(きょうしゅぼうかん)し⋯ 続きを読む

第23回 「濁浪清風」㉓

 本願力は、人間に対してまったく努力を求めていないのか。絶対の他者が、人間からは取りつく手がかりがないからと、ただ現れることを待つことなのか。  確かに「他力」⋯ 続きを読む

第22回 「濁浪清風」㉒

 先日、このセンターの研究会に、気鋭の文芸評論をしておられる加藤典洋さんをお呼びして、お話を頂いた(その概要は親鸞仏教センター通信13号掲載)。その折に、「オウ⋯ 続きを読む

第21回 「濁浪清風」㉑

 昨年(2004年)の秋以来、台風や地震、そしてスマトラ島沖から何か国も襲った津波と、地球の状態が人間の生活に対して、すこしはこちら(自然)のことを見直せ、とで⋯ 続きを読む

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