第20回 「濁浪清風」⑳

 なぜいま自分がこのような自分でしかないのか。いまの自分の状況が自分には理不尽であり、納得できない。現在の自分に与えられているこの必然が、自分の責任であるとはど⋯ 続きを読む

第19回 「濁浪清風」⑲

 社会評論家の芹沢俊介さんが、乳幼児のころの「イノセンスの解体」ということを、成長の過程の不可欠の要因として提出された(『アンジャリ』創刊号・『現代と親鸞』創刊⋯ 続きを読む

第18回 「濁浪清風」⑱

 「濁浪滔々(だくろうとうとう)の闇黒世裡(せり)」(清沢満之「他力の救済」)を避けることができない人生の場所として、逃げることなく引き受けているのが、我らの身⋯ 続きを読む

第17回 「濁浪清風」⑰

 「濁浪滔々(だくろうとうとう)の暗黒世裡(せり)に在りて、夙(つと)に清風掃々(せいふうそうそう)の光明界中に遊ぶを得るもの」(濁った波浪が繰り返し巻き返しぶ⋯ 続きを読む

第16回 「濁浪清風」⑯

 生命の根源からくる、ささやきのような「呼びかけ」ということを先月書いてみた。自分としては、すこし表現が象徴的すぎるかなとも感じたのであるが、「宗教的要求」を表⋯ 続きを読む

第15回 「濁浪清風」⑮

 遠いところへの深い要求は、はっきり自分の意識にそれとして出てくることは、ほとんどない。けれど、この深みからの痛覚の刺激のようなものは、日常生活のいたるところで⋯ 続きを読む

第14回 「濁浪清風」⑭

 宗教的なことを語る言葉は、いうまでもなく宗教的な体験を、ある意味で日常的な文脈に置き換えて表現している。それを日常的な体験のみの連続であると錯覚すると、対象化⋯ 続きを読む

第13回 「濁浪清風」⑬

 先日(2004年4月22日)、「親鸞仏教センターのつどい」を催して、芹沢俊介さんに「家族にとって、宗教とは」というテーマで講演をしていただいた。その内容は、い⋯ 続きを読む

第12回 「濁浪清風」⑫

 現代日本において、日常的に身近なこととして盛んに取りざたされる問題のひとつに、「家庭の崩壊」ということがある。家族が寄り集う「いえ」のもっている本来の機能が、⋯ 続きを読む

第11回 「濁浪清風」⑪

 世界が情報的にも交通の往来としても、ますます近くなり頻繁にやりとりするようになっている。いわゆるグローバルの言葉どおり、地球規模で人も物も動いている。けれども⋯ 続きを読む

ページ 25 / 26