第228回「悲しみを秘めた讃嘆」⑫

 我らの現実の生存において、宗教的実存を求めてこれを成就するとは、どういうことであろうか。本願の仏教では、阿弥陀如来の本願を信じ、自己の有限なる生存をそのままに⋯ 続きを読む

第227回「悲しみを秘めた讃嘆」⑪

 願生の意欲は、菩提心であるとされている。『大経』下巻の三輩往生において繰り返されている「発菩提心」の語によって、曇鸞も源信も往生の意欲すなわち願生心が菩提心で⋯ 続きを読む

第226回「悲しみを秘めた讃嘆」⑩

 菩提心の歩みは、大悲の菩提心として「法蔵菩薩」の物語を掘り起こし、その願心の因果を構築してきた。この物語には、この背景に仏道の伝承があったことが語られている。⋯ 続きを読む

第225回「悲しみを秘めた讃嘆」⑨

 大乗菩薩道として求められた仏教は、『華厳経』を生み出し、限りなく求道していく菩薩たちの物語となっている。求道の完成を求めながら、完成することのない求道の展開な⋯ 続きを読む

第224回「悲しみを秘めた讃嘆」⑧

 時代状況のもつ困難性を自覚的に表現するということには、時の面は念々に移ろいゆくけれども、自己自身の面(これを機という語で押さえられている)には、移ろいゆく状況⋯ 続きを読む

第223回「悲しみを秘めた讃嘆」⑦

 大乗仏教の思想的深化ともいうべき展開は、インドから遠い日本に生まれ、二千年後の世に生をうけた我らにとっては、想像することすら難しい事柄である。そのなかでも、浄⋯ 続きを読む

第222回「悲しみを秘めた讃嘆」⑥

 親鸞は、『教行信証』「行巻」に『論註』を引用されるについて、この曇鸞の「二種の道」から文章を引き始め、易行道を選ぶについて時代の困難性に「五種の難」があること⋯ 続きを読む

第221回「悲しみを秘めた讃嘆」⑤

 易行の要求に対し『十住毘婆沙論』は、一旦それを「怯弱下劣」な者の要求として退け、大乗菩薩道の菩提心にまい進するように励ますのだが、どうしても易行の道を要求する⋯ 続きを読む

第220回「悲しみを秘めた讃嘆」④

 曇鸞の求道心について、その回心に「劣弱性」の自覚があったと前回に述べた。この自覚内容に対して、親鸞が深く共感したようだとも述べた。しかし、このことは道を求める⋯ 続きを読む

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