第219回「悲しみを秘めた讃嘆」③

 阿弥陀如来の本願が大悲であるとは、「一切衆生」を救済の対象とするということである。それは、大乗仏教を標榜するからにはある意味で当然なのであるが、その一切衆生の⋯ 続きを読む

第218回「悲しみを秘めた讃嘆」②

 諸条件に恵まれてたまたま存在するということを、如来は「無我」と自覚されたのであろうか。条件的な存在のあり方を、「因縁所生」とも教えている。それなのにわれら凡夫⋯ 続きを読む

第217回「悲しみを秘めた讃嘆」①

 仏法に遇うことによってわれらが獲得する「歓喜」には、他の喜びとどのような違いがあるのか。親鸞の語りかける信心の内面には、容易にはたどり着くのが困難なことを感じ⋯ 続きを読む

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