親鸞仏教センター所長
本多 弘之
(HONDA Hiroyuki)
親鸞教学の現代的課題ということで問題を煮詰めるにあたって、まずは、いわゆる伝統教学がほとんど「死学問」であるとされたことについて、その意味を考察してみたい。
太平洋戦争とか大東亜戦争といわれる大戦に敗れてから、20年近くたっていたころ(1960年代)、明治維新から百年を経ようとしているというのに、小生が大学院生活を送っていた京都の大谷大学では、親鸞の主著『教行信証』を学ぶには、『六要鈔会本(えほん)』と称する木版印刷、赤表紙和綴じの本がテキストであった。これは、江戸時代以来の宗派によって制定された学問方法によるものであった。親鸞を奥の院に閉じ込めて権威化し、通途の教学はいわゆる伝統教学と称する親鸞以後の学びの伝承を正当化していたのである。親鸞を宗祖と奉りながら、直接、親鸞の思想を検討するなどということは恐れ多いということであった。
これに対し、明治に真宗大学(大谷大学の前身)を東京に移転する努力をした清沢満之は、すでに宗派の教学の中心は「『教行信証』六軸」(六巻)に置くべきことを提言している。浄土教を革新した源空の専修念仏の教えを、さらに徹底して、罪悪深重の凡夫が真実信心を得れば、現生に正定聚不退転の位を得るのだと明らかにしたところに、親鸞の信念の革命的な意味がある。その親鸞の強い信念による救済の主張を、浄土真宗の教えは保ち続けたのであろうか。
「他力」という言葉を本願の信念に取り入れたのは、曇鸞であった。菩薩道を持続し、成就まで退転せずに歩むためには、「他力の保持」が必要である、として阿弥陀如来の本願力を「増上縁」とすることを示したのである。これを受けて、積極的に大悲の本願力の信念による凡夫の救済を表したのは、善導であろう。「善導独明仏正意(善導独り、仏の正意を明かせり)」(「正信偈」、『真宗聖典』207頁)とは、仏説の密意が「称名」による愚悪の凡夫救済にあるという、革命的な仏教思想であった。これによって、一切の衆生の平等の救済、なかでも罪業深重の宿業に苦しむ衆生の救済を、現実に呼びかけられるかたちにできたのである。親鸞がこれをもって、「誓願一仏乗」(『真宗聖典』197頁)と宣言できたのである。
近代の浄土真宗の教学には、この二点、すなわち「現生に救済を獲得する」ということの内面的意義と、「本願力を他力として、凡愚が救済される」という信念について、いささか問題があったのではないか。一つは、生きた救済的時間に「二益(にやく)」(現益・当益)という概念を入れて、救済を時間的に分断してきたこと。もう一つは、存在を根源から支える力を表現する「他力」を、外部からの相対的力としての俗語的意味に退転させてしまっていたことである。
(2013年5月1日)